ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハンフリー」の意味・わかりやすい解説
ハンフリー
Humphrey, Hubert Horatio
[没]1978.1.13. ミネソタ,ウェイバリー
アメリカの政治家。 1939年ミネソタ大学卒業後,ルイジアナ大学で博士号を取得。その後,同大学で政治学を教え,42年ミネソタ州戦時役務計画責任者,ラジオニュース解説者などを経て,44年 F.ルーズベルトのミネソタ州選挙事務長をつとめた。 45年ミネアポリス市長,48年上院議員,61年民主党上院院内副総務となり,核兵器不拡散条約 (1963) ,公民権法 (64) の成立に尽力。 65~68年 L.ジョンソン政権の副大統領をつとめ,民主党リベラル派の旗手と目されていたが,大統領のベトナム政策を立場上支持したため,リベラル派としての影が薄れ,68年の大統領選挙で共和党の R.ニクソンに敗れる結果となった。その後エンサイクロペディア・ブリタニカ社の役員となり,同社の教育事業に参画。 70年上院に返り咲き,各種の進歩的立法を推進。 72年民主党大統領指名候補に名のりをあげたが,G.マクガバンに敗れた。癌で死去する前に,上院は前例のない上院副議長のポストを設けて,その功に報いた。
ハンフリー
Humphrey, Doris
[没]1958.12.29. ニューヨーク
アメリカの舞踊家。アメリカのモダン・ダンスを創設した一人。社交ダンスの教師を経て,1917~28年デニショーン舞踊団の主役を演じた。 20年頃から振付を始め,28年 C.ワイドマンとともに新しい舞踊の創造を目指して,ハンフリー=ワイドマン舞踊団を創設。バランスとアンバランスの関係から舞踊の振付術を考案し,モダン・ダンスの体系化に努めた。 45年病気のため引退し,ホセ・リモン舞踊団の芸術監督に就任。代表作に『イグナシオ・サンチェス・メヒアスへの哀歌』 (1946) ,『デイ・オン・アース』 (47) などがある。著書『舞踊創作法』 The Art of Making Dances (59) 。
ハンフリー
Humphrey, George
[没]1966.4.24. ケンブリッジ
イギリスの心理学者。 W.ブントに師事し,クイーンズ大学教授となり,第2次世界大戦中カナダ陸軍で人事研究に従事。その後オックスフォード大学教授。学習および思考の研究で著名。主著『学習の本質』 The Nature of Learning (1933) ,『思考』 Thinking (51) 。
ハンフリー
Humfrey, Laurence
[没]1591.2.1.
イギリスのプロテスタント神学者。 1560年オックスフォード大学教授。マグダレン・カレッジ学長 (1561~90) ,オックスフォード大学副総長 (71~76) をつとめたのち,ウィンチェスターの監督 (80~90) 。
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