バッサーノ(読み)ばっさーの(英語表記)Bassano

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バッサーノ」の意味・わかりやすい解説

バッサーノ
ばっさーの
Bassano

イタリアの画家一族で、出身地である北イタリアの小都市バッサーノにちなむ通称。一族を代表するヤーコポ・バッサーノJacopo B.(1517/18―92)は本名Jacopo da Ponte、地方画家フランチェスコ・バッサーノの子で、1534年ごろからしばらくベネチアに滞在してロレンツォ・ロットやティツィアーノの優れた画法に触れた。またとくにパルミジアニーノエッチングの研究を通じて、当時流行し始めるマニエリスム洗礼を受け、『聖母子と二聖者』(ミュンヘンアルテ・ピナコテーク)にその痕跡(こんせき)をとどめている。ベネチアでの修業の成果を示す『牧者の礼拝』(ハンプトン・コート宮殿)、『洗礼者の斬首(ざんしゅ)』(コペンハーゲン国立美術館)では、聖書物語がこの画家独自の風俗画的手法で描写されている。

 ヤーコポの4人の子供のうち2人が画家として自立。長男フランチェスコFrancesco B.(1549―92)は父の画風を踏襲しながら、説話的な歴史画を多く描いた。もう1人のレアンドロLeandro B.(1557―1622)は兄のもとで修業し肖像画家としてたつが、ティントレット影響が指摘される。1588年からベネチアに住み同地に没。

[濱谷勝也]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「バッサーノ」の意味・わかりやすい解説

バッサーノ
Jacopo Bassano
生没年:1515ころ-92

イタリア盛期ルネサンスの画家。本名ヤコポ・ダ・ポンテJacopo da Ponte。イタリア北部バッサーノ・デル・グラッパBassano del Grappaに生まれる。父フランチェスコFrancesco B.(生没年不詳),3人の息子フランチェスコFrancesco B.(1540-92),レアンドロLeandro B.(1557-1622),ジェロラモGerolamo B.(1566-1621)と,親子3代にわたって画家として活躍。なかでもこのヤコポがティントレットやベロネーゼとともに16世紀後半のベネチア絵画において中心的な役割を果たした。ベネチアでボニファツィオ・デ・ピターティBonifazio de' Pitatiに師事した後,1530年代初頭には独立。《三博士の参拝》(1562ころ)等の作品に顕著にみられるマニエリスム的な人物表現や詩的な色調がこの画家の特徴をなし,きわめて新鮮な作風であるといえる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バッサーノ」の意味・わかりやすい解説

バッサーノ
Bassano, Jacopo

[生]1517頃.バッサーノデルグラッパ
[没]1592.2.13. バッサーノデルグラッパ
イタリアの画家。父フランチェスコに師事し,ベネチアに出て B.ベロネーゼ工房で学んだ。宗教画も描いたが,特に動物や風景の描写にすぐれ,画家となった4人の息子とともにベネチアに工房を開き,風俗画を1つのジャンルにまで高めた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android