バルカン協商(読み)バルカンきょうしょう(英語表記)Balkan Entente

山川 世界史小辞典 改訂新版 「バルカン協商」の解説

バルカン協商(バルカンきょうしょう)
Balkan Entente

1934年2月,ギリシアユーゴスラヴィアルーマニアトルコの4カ国が締結した相互保障条約農業恐慌影響を受けたバルカン諸国は相互の経済協力の必要性を認識し,30年10月にギリシアの呼びかけにより,アルバニアブルガリア,ユーゴスラヴィア,ルーマニア,トルコが参加するバルカン会議を発足させた。その後,ファシズム諸国の台頭により国際的な危機が強まると,バルカン諸国はこの会議を基礎として,現存国境の相互保障と脅威が発生した際の協議を義務づけるバルカン協商を締結した。現状打破をめざすブルガリアとイタリア保護下のアルバニアは,同盟関係から除外された。36年以後,独伊が本格的な行動に着手すると,バルカン協商諸国はドイツへの傾斜を強めていき,協商体制は内部から崩壊していく。40年2月の会議を最後に,その役割を終えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バルカン協商」の意味・わかりやすい解説

バルカン協商
ばるかんきょうしょう
Balkan Entente

アルバニア以外の他のバルカン諸国が、ブルガリアを警戒して、1934年2月9日に結んだ相互保障条約。33年のナチス・ドイツ政権の成立や、現状不満国ブルガリアのイタリア、ハンガリーとの提携の動きを警戒し、ギリシア、ユーゴスラビア、ルーマニア、オスマン・トルコ帝国が、国境の相互保障と脅威発生時の協議を約束しあった。しかし締結国が枢軸側の圧力により切り崩され、無力に終わった。

木戸 蓊]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バルカン協商」の意味・わかりやすい解説

バルカン協商
バルカンきょうしょう
Balkan Entente

1934年2月9日にギリシア,トルコ,ルーマニア,ユーゴスラビアの4ヵ国がブルガリア,ハンガリー,オーストリアからの脅威に対し,それぞれの領土と政治的独立を防衛することを目的に結んだ条約。 34年 11月2日には協商規約が成立,経済関係の協力強化までうたわれたが,その後ドイツの影響が次第に浸透してくるとルーマニア,ユーゴスラビアはドイツに接近,4ヵ国の結束は乱れ,第2次世界大戦の勃発によって解体した。

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百科事典マイペディア 「バルカン協商」の意味・わかりやすい解説

バルカン協商【バルカンきょうしょう】

1934年2月ギリシア,トルコ,ユーゴスラビア,ルーマニアが締結した相互保障条約。バルカン情勢の安定と経済協力を目的とし,小協商諸国とともにヨーロッパの危機回避に努めたが,1936年以後イタリアやドイツの行動によって無力化し,1940年2月に役割を終えた。

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