バルジェロ美術館(読み)バルジェロびじゅつかん(英語表記)Museo Nazionale del Bargello

改訂新版 世界大百科事典 「バルジェロ美術館」の意味・わかりやすい解説

バルジェロ美術館 (バルジェロびじゅつかん)
Museo Nazionale del Bargello

イタリアのフィレンツェにある国立美術館。中世以降のおもにトスカナ地方の彫刻,工芸品を収蔵する。建物は1255年にカピターノ・デル・ポポロ(外国人の隊長)の居館として起工され,61年にはポデスタ(行政長官)の,そして1574年には美術館の名称が由来するバルジェロ(外国人の警察署長)の庁舎になった。1857年に,それまでウフィツィ美術館そのほかに収められていた絵画を除く彫刻,工芸品などを展示するために改修が開始され,65年に国立美術館として開館した。その後,88年にカランドCarrandoの工芸品,99年にレスマンRessmanの武具,1906年にはフランケッティFranchettiの織物など各コレクションを加え,収蔵品の充実が図られた。展示作品には,ルネサンス美術の初頭を飾る洗礼堂門扉のためのギベルティブルネレスキの試作品,ドナテロの大理石および青銅彫刻ロッビアのテラコッタ,ミケランジェロの円形浮彫などがあり,イタリア・ルネサンス彫刻の最大の宝庫となっている。
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世界大百科事典(旧版)内のバルジェロ美術館の言及

【インド】より

…また遅くとも10世紀ころまでにはユダヤ教徒がコーチンに来住した。また8世紀にアラブの支配から逃れて,ペルシアからインドに移住したパールシーPārsīと呼ばれるゾロアスター教徒もおり,17世紀以降インドにおけるイギリス勢力の拡大に伴って彼らの社会的・経済的活動は活発になっていった。19世紀以降,キリスト教宣教師の活動や西洋思想の移入の刺激を受けて,ヒンドゥー教徒の間に,ブラフマ・サマージ,アーリヤ・サマージなどの宗教・社会改革運動が起こったが,1875年にニューヨークに設立され,82年にその本部がマドラスに移された神智学協会の活躍も見のがせない。…

【インド】より

…また遅くとも10世紀ころまでにはユダヤ教徒がコーチンに来住した。また8世紀にアラブの支配から逃れて,ペルシアからインドに移住したパールシーPārsīと呼ばれるゾロアスター教徒もおり,17世紀以降インドにおけるイギリス勢力の拡大に伴って彼らの社会的・経済的活動は活発になっていった。19世紀以降,キリスト教宣教師の活動や西洋思想の移入の刺激を受けて,ヒンドゥー教徒の間に,ブラフマ・サマージ,アーリヤ・サマージなどの宗教・社会改革運動が起こったが,1875年にニューヨークに設立され,82年にその本部がマドラスに移された神智学協会の活躍も見のがせない。…

【鳥葬】より

…死体を野や藪のなかに放置する死体遺棄ないし風葬の場合,結果的に死体が野鳥や野獣によって食われることはあるが,厳密な意味での鳥葬とは,ハゲタカやハゲワシなどの肉食鳥に死体の処理をさせることを意図して死体を特定の場所に置く葬法のことで,チベット人と西インドに住むゾロアスター教徒パールシーのあいだで見られるだけといってよい。チベット人のあいだでも燃料用の木が豊富な地方では火葬が頻繁に見られる。…

※「バルジェロ美術館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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