バルデス派福音主義(読み)バルデスはふくいんしゅぎ

改訂新版 世界大百科事典 「バルデス派福音主義」の意味・わかりやすい解説

バルデス派福音主義 (バルデスはふくいんしゅぎ)

スペインの神学者バルデスJuan de Valdés(1500ころ-41)が,おもにナポリの都市上流貴族社会のサークルに1530年ころから広めた福音主義思想を指し,イタリア宗教改革史の第1期を特徴づける。ルターセルベトゥスの思想に近い反面,エラスムス的原理に立脚しつつ教会の形式や教義に対する無関心,内面生活への逃避福音と使徒的生活の実践と信仰への回帰を説く点で,カトリックの内部改革の枠内にとどまった。このサークルからは福音主義の指導者B.オキーノやカルネゼッキなどの改革主義者が輩出した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のバルデス派福音主義の言及

【インドネシア】より

…しかし国民党も29年末には指導者が逮捕され,31年には解散を余儀なくされた。30年代に入ると植民地政府の民族主義に対する対応はいっそう強圧的になり,国民党の後身であるパルティンドと民族教育協会をはじめとする独立を主張する非協力政党の活動は,指導者の相次ぐ逮捕や集会制限・禁止などの措置によって次々と封じ込まれていった。民族主義は全体として協調主義に移行していき,39年にはタムリンらの指導下でこれらの諸組織の合同体としてガピ(インドネシア政治連合)が結成された。…

【インドネシア国民党】より

…それは1910年代から20年代前半にかけて民族主義運動を主導したイスラムや共産主義に代わって,ナショナリズムがそれらのエネルギーを吸収して新たなシンボルとして出現したことを意味し,インドネシアという一体性が強く意識され始めたことを示していた。31年の解散後,国民党の後身はパルティンドとインドネシア民族教育協会の2派に分かれ,前者の論客スカルノと後者の論客ハッタおよびシャフリルとの間には組織論や運動論をめぐる論争が展開されたが,30年代半ばには指導者の逮捕をはじめとする弾圧により両派とも活動は停止した。インドネシアの独立後,46年にこの党名が復活し,サルトノ,マングンサルコロ,アリ・サストロアミジョヨらが率いて,ジャワ中東部を拠点に,官僚層の間に勢力をもつ四大政党の一つとして,数度にわたって国政を担当した。…

※「バルデス派福音主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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