バーナード(英語表記)Chester Irving Barnard

精選版 日本国語大辞典 「バーナード」の意味・読み・例文・類語

バーナード

(Edward Emerson Barnard エドワード=エマーソン━) アメリカ天文学者。天文観測に写真技術を応用、銀河・彗星などの写真観測・撮影を行なう。(一八五七‐一九二三

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改訂新版 世界大百科事典 「バーナード」の意味・わかりやすい解説

バーナード
Chester Irving Barnard
生没年:1886-1961

アメリカの実業家で,近代的組織論の始祖。マサチューセッツ州モールデンに生まれ,ハーバード大学を3年で中退した後,アメリカ電話電信会社(ATT)に入社し,41歳で同社傘下のニュージャージー州ベル電話会社の初代社長となった。1938年,みずからの社長としての経験と思想を,その主著《経営者の役割》に体系化した。当時ハーバード大学の教授であったL.J.ヘンダーソンの影響を受けた彼は,〈人間が個人として達成できないことを,他の人々との協働によって達成しようとしたときに組織が生まれる〉と考え,〈協働システム〉をキー概念として,システム論にもとづいた組織と管理の一般理論を展開した。彼の研究成果はのちにH.A.サイモンに受け継がれ,バーナード=サイモン理論として近代組織論に大きな影響を与えた。
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バーナード
Edward Emerson Barnard
生没年:1857-1923

アメリカの天文学者。観測天文学に写真術を導入した先駆者として知られる。写真スタジオや天文台で働きながら独学したのち,1887年テネシーバンダービルト大学を卒業して,カリフォルニアリック天文台の研究員となった。その後,95年から終生シカゴ大学ヤーキス天文台の実地天文学教授の地位にあった。16個のすい星発見,木星の第5衛星発見(1892),多数の恒星の固有運動測定などの業績がある。彼の名まえは1916年に発見した固有運動の大きな星として知られるバーナード星に記念されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バーナード」の意味・わかりやすい解説

バーナード
Barnard, Henry

[生]1811.1.24. コネティカット,ハートフォード
[没]1900.7.5. コネティカット,ハートフォード
教育家,法学者,初代アメリカ合衆国教育長官。 H.マンともどもアメリカ公教育制度の設立,発展に指導性を発揮した。コネティカット州の普通学校委員会の委員長に就任,『コネティカット普通学校日誌・教育年報』 Connecticut Common School Journal and Annals of Education (1838) の創刊,師範学校の創設に尽力した。 1843年ロードアイランド州の初代教育長に就任,55年『アメリカ教育雑誌』 American Journal of Educationを創刊,その抜粋は『バーナード教育宝典』 Barnard's Library of Educationとして刊行されている。その後マディソンのウィスコンシン大学名誉総長 (58~61) ,メリーランドのセントジョンズ・カレッジ学長 (66~67) などを歴任した。

バーナード
Barnard, Chester Irving

[生]1886.11.7. マサチューセッツ,マルディン
[没]1961.6.7. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の実業家,組織理論家。ハーバード大学に学び,1909年アメリカン・テレフォン・アンド・テレグラフ(→AT&T)に入社,1927年 AT&T傘下のニュージャージー・ベル電話会社社長に就任。同社退社後はユナイテッド・サービス機構,ロックフェラー財団理事長などを歴任。電話会社社長在任中にその体験をもとに組織に関する研究を進め,『経営者の役割』The Functions of the Executive(1938)を著した。企業にかぎらず各種組織を対象に,組織をシステムとしてとらえ,組織均衡の一般理論を提唱して総合的基礎理論を展開し,その後のアメリカ経営学の近代的組織論の基礎を築いた著書として高く評価されている。上記のほか "Organization and Management"(1948)がある。

バーナード
Barnard, Edward Emerson

[生]1857.12.16. テネシー,ナッシュビル
[没]1923.2.6. ウィスコンシン,ウィリアムズベイ
アメリカ合衆国の天文学者。幼少より独力で天文学を学び,バンダービルト大学を卒業後,1887年リック天文台に勤務。1895年以降はシカゴ大学のヤーキズ天文台で研究するとともに,教授として実用天文学を教えた。1901年にはアメリカ海軍スマトラ日食観測隊に参加。天体写真観測の開拓者として知られ,銀河の詳細な写真観測(1889)をはじめとして,16個の彗星木星の第5衛星アマルテアの発見(1892),また 1968年まで最大の固有運動をもつことで知られた恒星バーナード星の発見(1916),暗黒星雲の観測(1919)などでも知られる。

バーナード
Bernard, Luther Lee

[生]1881.10.20.
[没]1951.1.24.
アメリカのシカゴ学派の社会学者。 1907年ミズーリ大学卒業,10年シカゴ大学で博士号取得,フロリダ,ミズーリ大学教授を経て,17年ミネソタ大学社会学教授となった。社会を集合行動ととらえ,その行動形式を刺激と反応とから考察。さらに,集合行動の組織として直接的な接触集団と間接的な接触集団とを区別し,指導や統制の問題にまで言及した。主著『アメリカ社会学講義』 The Teaching of Sociology in the United States (1909) ,『社会心理学入門』 An Introduction to Social Psychology (26) 。

バーナード
Barnard, Frederick Augustus Porter

[生]1809.5.5. マサチューセッツ,シェフィールド
[没]1889.4.27. ニューヨーク
アメリカの教育家,コロンビア大学総長。 25年間に及ぶ在任中にコロンビア大学を学部だけの男子大学から有力な総合大学に発展させた。 1828年エール大学卒業,数年間聾唖学校で教鞭をとった。 38~54年アラバマ大学,54~56年ミシシッピ大学で数学,科学,英語を教えた。 56~61年ミシシッピ大学学長に就任。 64年コロンビア大学に移ってからカリキュラムの拡大,カレッジ高学年での選択制の採用などを主張。鉱山学部の新設,女子への大学の開放などにも貢献し,89年に開設された女子カレッジは彼の功績を記念してバーナード・カレッジと名づけられた。

バーナード
Barnard, Christiaan Neethling

[生]1922.11.8. ケープ,ボーホートウェスト
[没]2001.9.2. キプロス,パフォス
南アフリカの心臓外科医。医学をケープタウン大学で学び,1953年クローテ・スキュール病院の外科医となった。 56年渡米,ミネソタ大学に留学し,ここで心臓外科の最新の知識と技術を修得した。 58年帰国,クローテ・スキュール病院に戻るとともにケープタウン大学心臓外科部長。 67年 12月彼を中心とする心臓外科グループは人間の心臓移植に世界で初めて成功したが,拒絶反応のために患者は術後 18日で死亡した。しかし,70年代後半までに心臓移植を行なった患者の何人かは数年間生存した。 69年来日。 83年までクローテ・スキュール病院心臓外科部長をつとめた。

バーナード
Barnard, Lady Anne

[生]1750
[没]1825
イギリスの女流詩人。スコットランドの貴族の家に生れた。古い歌謡を模した『ロビン・グレー老』 Auld Robin Gray (1771) の作者として知られる。

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百科事典マイペディア 「バーナード」の意味・わかりやすい解説

バーナード

南アフリカの心臓外科医師。ケープ州生れ。ケープ・タウン大学医学部卒業。アメリカのミネソタ大学へ留学。1967年に南アフリカで交通事故死した女性の心臓を男性患者に移植し,世界初のヒトからヒトへの心臓移植手術を行った。移植された患者は18日後に死亡し,倫理面から大きな議論を呼んだが,これ以後心臓移植は世界的に広がった。なお,医師を引退するまで,50例弱の心臓移植を行ったとされる。→和田寿郎

バーナード

米国の天文学者。写真による天文観測のパイオニア。1887年リック天文台研究員,1895年シカゴ大学教授。1892年木星の第5衛星を発見,1916年にはバーナード星を発見。

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367日誕生日大事典 「バーナード」の解説

バーナード

生年月日:1881年10月20日
アメリカのシカゴ学派の社会学者
1951年没

バーナード

生年月日:1886年11月7日
アメリカの実業家,経営学者
1961年没

バーナード

生年月日:1811年1月24日
アメリカの教育改革者
1900年没

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世界大百科事典(旧版)内のバーナードの言及

【ルーマニア】より

…両公国は隣接し互いに多くの社会的共通性をもちながらも,ミハイ勇敢公が1600年にごく短期間統一した時期を除けば,19世紀中葉まで別個の国家をなしていた。もっとも中世以来ワラキアとモルドバ,それにトランシルバニアバナトなどの諸地方に住むルーマニア人は,同一の言語を話す同族意識をもちつづけ,中世の年代記にもそのような記述がある。 ところが18世紀後半,まずトランシルバニアのルーマニア人の間に民族運動が起きると,そのような同族意識は一つの政治理念にまで高められることになった。…

【経営学】より

…しかし,60年代には,これに対する批判から,効率的な管理方式はその組織のおかれた状況によって異なるという条件適応理論contingency theoryが生まれ,アメリカ経営学の主流となった。この流れとは別に,C.I.バーナードの《経営者の役割》(1937)を祖とする近代組織理論modern organization theoryが,H.A.サイモンらに引き継がれて発達していた。それは,企業のなかで働く人々の大部分がホワイトカラーや専門職になってきたという現実の動きを反映して,組織を構成する人々を意思決定者として認識して,組織の動きを解明しようとする理論であり,今日の経営学の基礎概念を提供するものであった。…

【公式組織・非公式組織】より

…公式組織(フォーマル・オーガニゼーション)とは,一定の目的を達成するために意識的,人為的に形成された組織のことであり,C.I.バーナードは〈意識的に調整された人間の活動や諸力の体系〉と定義している。通常,〈組織〉といえば,これを指していう。…

※「バーナード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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