パリ和平協定(読み)パリわへいきょうてい(英語表記)Paris Accords; Agreement on Ending the War and Restoring Peace in Vietnam

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パリ和平協定」の意味・わかりやすい解説

パリ和平協定
パリわへいきょうてい
Paris Accords; Agreement on Ending the War and Restoring Peace in Vietnam

1968年5月以来パリで続けられてきたベトナム和平会談の結果,73年1月 27日調印されたベトナム戦争の停戦協定正式名称は「ベトナムにおける戦争終結と平和回復に関する協定」。共産側は,当初の主張であったグエン・バン・チュー政権の打倒,連合政府の樹立前提条件からはずし,一方アメリカ,南ベトナム側は,南ベトナムにおける北ベトナム軍の滞留を不問にし,また臨時革命政府の地位を事実上認めるという譲歩を行なった。アメリカの H.キッシンジャー大統領補佐官と北ベトナムのパリ会談特別顧問レ・ドク・トによって同年1月 23日仮調印され,次いで同月 27日に,南ベトナム政府,同臨時革命政府を加えた4外相によって正式調印された。同協定は9章 23条より成る本協定と,3つの議定書 (南ベトナムの停戦と合同軍事委員会に関する議定書,国際管理監視委員会に関する議定書,捕虜および抑留民間人釈放に関する議定書) から成る。本文は,54年ジュネーブ協定によって認められた諸原則と南ベトナム人民の自決権の尊重を前提に,南ベトナム全域にわたる休戦を1月 27日 24時をもって実現すること,アメリカ軍および同盟国軍隊の 60日以内の完全撤退,南ベトナムの当事者による民族和解全国評議会の設置,停戦維持のための合同軍事委員会,国際管理監視委員会,国際会議の設置などを規定した。同協定を国際保証をもって確認するための国際会議は,2月 26日~3月2日,上記4者のほかに,イギリス,フランス,ソ連,中国と国際監視委員会参加の4ヵ国が加わってパリで開催され,参加者の決議が採択された。しかし,パリ和平協定が,結局は南ベトナムにおける2つの政治勢力の支配地域を対立したまま凍結したにすぎなかったので,アメリカ軍撤退後も南ベトナムにおける政府側と解放戦線側との局地的武力衝突は絶えず,最終的解決は,75年春の北ベトナムによる南ベトナムの武力統一を待たねばならなかった。

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