世界大百科事典(旧版)内のパリ条約(1856)の言及
【露土戦争】より
…聖地エルサレム管理権問題(聖地問題)に端を発してロシア,トルコ両国の戦端が開かれると,イギリス,フランス,オーストリア,プロイセン,サルデーニャはオスマン帝国を支援してロシアに宣戦し,クリミア戦争(1853‐56)となった。ロシアは敗北し,パリ条約(1856)において,(a)黒海は中立地帯とされ,あらゆる国の商船に開放される,(b)ドナウ川は国際管理とされ,あらゆる国の商船に開放される,(c)ワラキア,モルダビアは西欧諸国の保護下に自治を認められる,などの条項を認めることによって,ロシアは,これまで黒海,バルカン方面において獲得してきた特権を放棄することを余儀なくされた。オスマン帝国はこの条約によってヨーロッパの一国として認められたものの,キリスト教徒少数民に有利な改革を約束させられ,西欧諸国の前に等しく植民地として〈開放〉されることになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」