世界大百科事典(旧版)内のパリ条約(1947)の言及
【トランシルバニア】より
…国際法上は20年のトリアノン条約によって正式にこれが決定された。40年ウィーン裁定によってトランシルバニアの北半分はハンガリー領となったが,第2次世界大戦後のパリ条約(1947)によりルーマニアの領有権が認められた。その後,社会主義体制への変革に伴い民族問題にも質的変化が生じたが,70年代からトランシルバニアのマジャール人問題をめぐって,再び論壇でルーマニア・ハンガリー間に論争が行われるようになり,民族問題が完全な解決には至っていないことを暗に示している。…
【ビホル】より
…19世紀を通じてハンガリーの民族政策に反発するルーマニア人の民族運動が強まったが,そのなかで1848年革命でコシュートに協力したルーマニア人ドラゴシュIoan Dragoş(1810‐49)や民族差別政策に反対したハンガリーの詩人アディら両民族の平等と友好を願う著名人をも生み出した。トリアノン条約(1920)によりルーマニア領となり,1940年ウィーン裁定により一時ハンガリー領となったが,パリ条約(1947)により再びルーマニア領となった。【萩原 直】。…
※「パリ条約(1947)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」