パンチェンラマ(英語表記)Paṇ chen bla ma

改訂新版 世界大百科事典 「パンチェンラマ」の意味・わかりやすい解説

パンチェン・ラマ
Paṇ chen bla ma

中国チベット自治区ツァン地方にある仏教ゲルー派大僧院タシルンポの転生者住職の通称。ダライ・ラマ5世が,タシルンポ寺に長く住持した師僧ロサン・チューキ・ゲンツェンの没後,この大僧院を通じて,かつての宗派抗争の拠点であったツァン地方を,ゲルー派の掌中に収めておくため,選ばれた転生者に支配させることにした。一般には阿弥陀仏化身の転生者と信じられ,ダライ・ラマに次ぐ地位を与えられている。しかし,パンチェン・ラマの周囲にその後反ダライ・ラマ,反中央政府の気風がおのずからでき上がり,すでにパンチェン・ラマ2世は清朝に協力して多くの政治的特権を獲得した。後代の6世はダライ・ラマ13世のインド亡命中に清と協力したので白眼視され,報復を怖れて1925年北京に亡命したが,和解のならないまま37年に没した。7世は,ラサと国民党の双方で選出されたが,中国共産党は後者を承認して,51年ともに入国したのでその地位が定まった。チベットでは初代パンチェン・ラマを第4世と呼んでいる。
チベット問題
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「パンチェンラマ」の解説

パンチェンラマ
Paṇ chen bla ma

チベット仏教の最大宗派ゲルク派においてダライラマに次ぐ地位を占める化身(けしん)僧。20世紀の初頭よりダライラマと対立し,ダライラマ亡命の後も中国支配下のチベットにとどまった。1989年にパンチェンラマ10世が没したあと,中国とダライラマが別々の少年を11世として承認したため,現在は二人のパンチェンラマが存在している。

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世界大百科事典(旧版)内のパンチェンラマの言及

【タシルンポ寺】より

…中国チベット,ツァン地方シガツェにあり,ゲルー派四大寺の一つ。ツォンカパの弟子で,後代ダライ・ラマ1世とされたゲンドゥン・トゥプパにより1447年に建立され,政権を樹立したダライ・ラマ5世によりパンチェン・ラマ1世の没(1662)後,その転生者が住持するように定められた。三つの仏教哲学研修学堂と一つの密教実践道場があり,20世紀初めころは僧徒3500を擁したといわれる。…

※「パンチェンラマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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