ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒバ・ハン国」の意味・わかりやすい解説
ヒバ・ハン国
ヒバ・ハンこく
Khiva Khanate
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1512年、シャイバン家出身のエルバルス・ハンが、遊牧ウズベク諸部族を統合して、アラル海の南部、アムダリヤ下流域のホラズム地方に建てた国。首都は初めウルゲンチにあったが、アムダリヤ支流の乾燥化のために1615年ヒバに移された。住民は、ウズベクと、先住のトルコ化したホラズム・オアシスの定住民と、遊牧、牧畜を営むトルクメンとからなり、宗教はスンニー派イスラムであった。ハン国は諸部族間の対立やトルクメンのたび重なる反乱、ブハラ・ハン国との絶え間ない抗争などから、政治的、社会的な安定を欠き、文化や経済の発展も阻害された。18世紀末からウズベクのコンギラト部族が有力となってコンギラト朝を開いたが、1873年中央アジアの征服を進めるロシアの遠征軍に破れてその保護国となった。そしてロシア革命後の1920年、ソビエト政権に敵対したハンの権力は、赤軍の支援を得た国内の反体制派によって打倒され、新たにホラズム人民ソビエト共和国が成立し、24年ウズベク(現ウズベキスタン)およびトルクメン(現トルクメニスタン)共和国に編入された。
[小松久男]
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新