ヒ素中毒(読み)ひそちゅうどく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒ素中毒」の意味・わかりやすい解説

ヒ素中毒
ひそちゅうどく

無機あるいは有機ヒ素化合物との接触、および経口または吸入摂取によって生ずる中毒をいう。ヒ素は古くから知られている毒物の一つで、自殺、他殺、事故による報告が多く知られている。労働衛生上は、銅、鉛、亜鉛などの鉱石にヒ素が含まれているため、これらの金属を精錬する際にヒ素の粉塵(ふんじん)が発生する。また、ヒ素はガラス製造、防腐剤、農薬、合金、半導体などにも広く用いられている。

 ヒ素は経口、吸入、接触によってそれぞれ異なる毒性を現す。(1)経口毒性 経口摂取による中毒で、もっとも注意を要するのは三酸化二ヒ素(無水亜ヒ酸)である。単体のヒ素は毒性が弱い。無水亜ヒ酸を大量に経口摂取すると、数時間後に胃けいれん嘔吐(おうと)、コレラ様下痢、無尿、脱水症などが現れ、続いて皮膚蒼白(そうはく)、チアノーゼ、血圧降下などがおこり、重症の場合にはショック死を招く。慢性の場合には、虚脱、食欲減退、胃腸障害がおこり、また手のひらや足の裏が角化し、乳輪、わきの下、鼠径(そけい)部に色素が沈着して黒くなる。脱毛や爪(つめ)の萎縮(いしゅく)もおこる。(2)吸入毒性 ヒ素や無水亜ヒ酸などの粉塵あるいはフューム(煙霧状粉末)を大量に吸入した場合には、咽頭(いんとう)痛、胸痛、発作性の咳(せき)、めまい、嘔吐などに続いて経口摂取による急性中毒と同様な症状がおこる。繰り返して粉塵を吸入した場合の慢性中毒では、鼻炎、喉頭(こうとう)炎、気管支炎がおこり、なかには鼻中隔穿孔(せんこう)も生ずる。ヒ素化合物のうち、気体として一つだけ存在するアルシンヒ化水素)は強い溶血性があり、そのために濃赤色の血色素尿、黄疸(おうだん)、無尿、貧血がみられ、また青銅色の顔色になる。(3)接触毒性 無水亜ヒ酸は皮膚や粘膜に付着すると、強い刺激作用のために目では結膜炎、鼻粘膜では炎症や潰瘍(かいよう)、顔面・わきの下・陰股(いんこ)部では湿疹(しっしん)や丘疹などをつくる。

 このほか、ヒ素やヒ素化合物によって肺癌(はいがん)や皮膚癌などもおこることが知られている。

 なお、労働衛生上の許容濃度は、ヒ素およびその化合物として職場の1立方メートル当り0.5ミリグラム、ヒ化水素として同じく0.05ミリグラムである。また、清涼飲料水中の許容濃度は0.2ppm、農薬による果実リンゴ)中のヒ素残留許容量は3.5ppm、食品添加物中は1~2ppm、人工着色料では2ppm、飲料水では0.05ppmである。

[重田定義]

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内科学 第10版 「ヒ素中毒」の解説

ヒ素中毒(重金属中毒)

(3)ヒ素中毒(arsenic poisoning)
定義・概念
 ヒ素はかつては殺虫剤,殺鼠剤,農薬として使用され,これらの製剤の誤飲や自殺目的での急性中毒と,ヒ素鉱山,金属精錬過程などでヒ素を含有する粉じんの吸入や,水質汚染・土壌汚染による作業関係者や周辺住民の慢性中毒がある.
病理
 腓腹神経では軸索変性による神経線維密度の減少をみる.
病態生理
 ヒ素はアミノ酸のSH基に結合して種々のSH系酵素を不活性化し,細胞代謝を障害することにより,また二次的な血管透過性の亢進により,脳浮腫を生じ,神経系をはじめ,多彩な全身症状をきたす.
臨床症状
1)急性ヒ素中毒:
経口的に摂取した場合,消化器症状として悪心・嘔吐・腹痛・下痢がほぼ必発し,頻脈・血圧低下・ショックなどの循環器症状,脳浮腫による頭痛・傾眠・譫妄・昏睡・痙攣などの神経症状,紅疹・丘疹・結膜炎・脱毛などの皮膚粘膜症状などが組み合わさってみられる.有機ヒ素中毒では手足の振戦,ミオクローヌス,小脳失調症状,記銘力低下,不眠などがみられる.
2)慢性ヒ素中毒:
慢性暴露では初期には手掌・足底の角化,体幹にびまん性の黒褐色の色素沈着,爪のMees線条などがみられ,長期経過例ではBowen病,皮膚癌の発症が高くなる.また鼻中隔穿孔,肺線維症,肺癌の発生がみられる.神経症状として,急性暴露から1~2週をすぎた頃より下肢末梢優位に異常感覚を伴う感覚運動性多発ニューロパチーを生じ,四肢遠位部の筋力低下,深部腱反射の減弱・消失をみる.暴露を中止することにより症状の改善をみる.
検査成績
 尿中ヒ素濃度が100~200 mg/L以上ではヒ素中毒が疑われる.頭髪中ヒ素濃度も2 mg/g以上は異常値とされる.
治療
 経口摂取の急性期には催吐薬の投与,胃洗浄,活性炭による吸着を行う.またDMSA,ジメルカプトプロパンスルホン酸(DMPS)などのキレート療法が行われる.慢性中毒ではヒ素からの隔離,皮膚癌・肺癌などの発生にそなえた定期検診,対症療法が中心となる.[内野 誠]

出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒ素中毒」の意味・わかりやすい解説

ヒ素中毒
ヒそちゅうどく
arsenic poisoning

ヒ素は単体では毒性が弱いが,酸化物の亜ヒ酸は猛毒で,中毒量は 0.01~0.05g,0.1~0.15gで死にいたる。体内への侵入経路は経口摂取と吸入と接触があり,急性中毒では嘔吐や腹痛,下痢などの消化器症状,呼吸困難や気管支炎,急性肺水腫などの呼吸器症状,皮膚炎,鼻腔の潰瘍,鼻中隔穿孔を起こし(→鼻中隔),治りにくい。慢性中毒では,胃腸障害のほかに神経症状や皮膚変性を伴い,後遺症が生じることが多い。急性中毒の応急処置としては,胃洗浄と同時に牛乳,卵白を与え,硫酸マグネシウム投与による腸内のヒ素除去が勧められている。

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栄養・生化学辞典 「ヒ素中毒」の解説

ヒ素中毒

 ヒ素化合物特にヒ化水素(AsH3)による中毒.ヒ素化合物を経口や吸入によって体内に取り込むことによって起こる.

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヒ素中毒の言及

【ヒ素(砒素)】より

…原形質毒で,とり込まれた局所で組織の壊死を起こし,種々の中毒症状を現す。ヒ素中毒には急性中毒と慢性中毒があり,前者では胃痛,嘔吐,下痢,腎臓障害による無尿症,皮膚炎,粘膜の炎症などが現れ,重症では,循環障害や痙攣(けいれん),麻痺などで死ぬ。後者では,皮膚の色素沈着,つめ,毛髪の欠損,皮膚癌,多発性神経炎,貧血,肝臓障害などがみられる。…

※「ヒ素中毒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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