ビエンチャン王国(読み)ビエンチャンおうこく

改訂新版 世界大百科事典 「ビエンチャン王国」の意味・わかりやすい解説

ビエンチャン王国 (ビエンチャンおうこく)

ラオスランサン王国が1707年に分裂して以降,ビエンチャンVientianeを都とした王国をさす。ランサン王国は14世紀半ばに北部のルアンプラバンを都に誕生したが,16世紀半ばのセーターティラート王の時,ビルマ軍の侵入から難を避けるため都を南のビエンチャンへ移した。ビエンチャンにはラオスの建築美を誇る仏塔タート・ルアンや王宮が建立され,タイチエンマイから招来したエメラルド仏像がワット・プラケオに安置された。1574年にビルマ軍が侵入し,数年間ビルマの支配下に置かれた。1694年のスリニャウォンサー王の死後,王位継承争いが生じ,1707年,旧都ルアンプラバンで王孫キンキットラートがビエンチャンからの分離独立を宣し,ランサン王国は北のルアンプラバンと南のビエンチャンの2王国に分裂した。ビエンチャンでは,ベトナム生れで王のおいサーイ・オン・フエが1711年に即位した。ビエンチャンは隣国タイのアユタヤ朝が67年ビルマに滅ぼされた時ビルマ側に加勢したとして,78年タイ軍に占領され,以後タイに服属した。この占領の際,ルアンプラバンの守護仏プラバン仏とともにビエンチャンの守護仏エメラルド仏像もタイにもち去られた。1804年に即位したチャオ・アヌは,南部ラオスのチャンパサック王国との連合によるラオス独立のためのタイ攻略を行ったが,タイ側の反撃にあって捕らえられ,29年タイのバンコクで辱めを受けて憤死した。ビエンチャン王国は滅ぼされてタイ直轄領となり,住民はタイに強制移住させられた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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