ビーチャー(英語表記)Catharine Esther Beecher

改訂新版 世界大百科事典 「ビーチャー」の意味・わかりやすい解説

ビーチャー
Catharine Esther Beecher
生没年:1800-78

アメリカの教育家。社会改革運動で有名なニューイングランド牧師一家の長女として生まれる。《アンクル・トムの小屋》の著者ストー夫人の姉。良妻賢母育成のための女子教育普及を志し,1823年コネティカット州ハートフォードに女学校を開き,また,著述活動を通して中産階級の女性に影響を与えた。女子の体育を重視し,健康で強い家庭経営者としての女性像を打ち出すなど新しい面も見られたが,伝統的な男女役割を固守し,奴隷廃止運動における女性の活動,婦人選挙権,男女同質の教育には反対した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビーチャー」の意味・わかりやすい解説

ビーチャー
Beecher, Henry Ward

[生]1813.6.24. リッチフィールド
[没]1887.3.8. ブルックリン
アメリカの会衆派説教者。長老派教会牧師 L.ビーチャーの子。アマースト神学校,レイン神学校に学び,1847年ブルックリンのプリマス会衆派教会創立時に牧師となり,その説教によって多く会衆を集め,名説教者とうたわれた。晩年は会衆派教会を離脱。"The Christian Union" (1870~81) を編集

ビーチャー
Beecher, Lyman

[生]1775.10.12. ニューヘーブン
[没]1863.1.10. ブルックリン
アメリカの長老派教会の牧師。いわゆるビーチャー兄弟の父。 T.ドワイトの影響を受けた。ボストンニューヨーク,コネティカットの各地の教会牧師を歴任。 1832年アメリカ奴隷制度反対協会を L.ベーコンとともに設立

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世界大百科事典(旧版)内のビーチャーの言及

【台所】より

…16世紀ごろからは台所の道具も増えはじめ,台所も広くなったが,炉が密閉されて煙が室内にこもらなくなるのは19世紀になってからである。それまで実際に台所の現場で働いていたのは使用人であり,ようやく19世紀中ごろにアメリカのストー夫人の長姉で教育家のビーチャーCatharine Esther Beecher(1800‐78)が,使用人をなくして婦人の労働力を活用することこそ肝要として家事の組織化をとなえ,船の厨房にならってコンパクトで合理的な設計の台所を発表した。20世紀になるとF.W.テーラーによる科学的作業研究の影響を受け,さらに第1次大戦以後の工業製品の普及とで台所の改善は急速に進んだ。…

※「ビーチャー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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