ピウスツキ(英語表記)Pilsudski, Józef Klemens

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピウスツキ」の意味・わかりやすい解説

ピウスツキ
Pilsudski, Józef Klemens

[生]1867.12.5. ウィレンシナ,ズウォボ
[没]1935.5.12. ワルシャワ
ポーランド政治家軍人。ハリコフ大学で医学を学び,社会主義運動に参加。アレクサンドル3世謀殺未遂事件で 1888~92年まで流刑。釈放後当時創設されたポーランド社会党に入り,ロシアのポーランド支配に反対する大衆運動の組織化に努力。日露戦争中に運動への支援を求めて来日したほか,ドイツ,オーストリア参謀本部とも関係した。 1906年党を離れ,07年民族主義革命フラクションを創設。第1次世界大戦では,1旅団を率いてドイツ・オーストリア側に立って戦った。 18年 11月の共和国宣言に続いて 19年1月大統領となり,領土問題を要因とする 20年4~10月の対ソ戦を指導して有利な講和に成功した。 20年3月元帥,22年大統領辞任。 26年5月クーデターを起し,権力を掌握して首相となり,28年まで独裁政治を行なった。 30年に一時首相となったがその後公職につくことなく,政府の側面指導に努め,35年4月新憲法制定後まもなく死亡。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ピウスツキ」の解説

ピウスツキ
Józef Piłsudski

1867~1935

ポーランドの政治家。ツァーリ暗殺計画に加わり1887年に逮捕,92年までシベリア流刑。帰国後,ポーランド社会党に入り,党の中枢で活動。ロシア領ポーランドの1905年革命を境に武闘路線に傾斜し,戦闘組織創設に動く。第一次世界大戦では自分の軍団を率いてロシアに対して参戦。ドイツ,オーストリアの後見のもとでのポーランド独立を展望するが,対立し離反した。しかし逆に権威は高まり,独立後は国家主席,国軍最高司令官の地位についた。23年に政党政治を嫌って引退したが,軍制をめぐって政府と対立し,26年に5月クーデタを起こして政権を掌握した。その後は側近無党派層に依拠し,議会を力で抑える強引な政治運営を行った。35年,大統領権限を強めた4月憲法成立後,まもなく死去

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ピウスツキ」の解説

ピウスツキ
Józef Pilsudski

1867〜1935
ポーランドの政治家・軍人
反ロシア独立運動により流刑(1887)。第一次世界大戦中,義勇軍を編成してロシアと戦って国民的英雄となり,戦後独立したポーランドの初代大統領に就任,軍事独裁権を握った。1923年引退したが,26年クーデタで独裁権を回復し,首相・国防相になり,権威主義的体制を維持した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android