ピゴット(英語表記)Piggott, Francis Taylor

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ピゴット」の意味・わかりやすい解説

ピゴット
Piggott, Francis Taylor

[生]1852.4.25. ギルフォード
[没]1925.3.12. ロンドン
イギリス来日顧問。ケンブリッジ大学卒業。弁護士。日本政府の要請で 1888年1月内閣法律顧問として着任,首相伊藤博文もとで,公布間近い明治憲法 (大日本帝国憲法 ) の運用面について助言した。 91年1月満期解任。帰国後は主としてイギリス植民地の司法官をつとめ,1912年には中国政府の法律顧問となり,のち国際法にすぐれた業績を残した。この間,日本を再訪伊藤との親交をあたため,明治天皇に謁見している。

ピゴット
Pigott, Richard

[生]1828?
[没]1889
アイルランドのジャーナリスト。 1886年アイルランド自治運動家を中傷する偽造文書を『タイムズ』紙に与え,同紙はこれをもとにして「パーネル主義と犯罪」という記事を掲載した。議会任命によるパーネル委員会の調査の結果,文書が偽造であることが判明し,彼はマドリード逃亡,自殺した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ピゴット」の解説

ピゴット Piggott, Francis Stewart Gilderoy

1883-1966 イギリスの軍人
1883年3月18日生まれ。F.T.ピゴットの子。明治21年(1888)両親と初来日。のち駐日イギリス大使館付武官としてたびたび来日。大正10年皇太子(昭和天皇)訪英の接伴員をつとめた。昭和14年帰国。1966年4月26日死去。83歳。ロンドン出身。ウーリッジ陸軍士官学校卒。著作に「断たれたきずな」。

ピゴット Piggott, Sir Francis Taylor

1852-1925 イギリスの法律家。
1852年4月25日生まれ。明治21年(1888)伊藤博文の法律顧問として来日。明治憲法草案の起草に貢献した。24年帰国。香港最高法院長などをつとめた。日本の音楽や庭園などに関する著書もある。1925年3月12日死去。72歳。ケンブリッジ大トリニティー-カレッジ卒。

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