ピントゥリッキョ

百科事典マイペディア 「ピントゥリッキョ」の意味・わかりやすい解説

ピントゥリッキョ

イタリア画家。本名ベルナルディーノ・ディ・ベット・ディ・ビアージョBernardino di Betto di Biagio。1480年―1484年ペルジーノ助手としてシスティナ礼拝堂壁画制作に携わる。バチカン宮殿の〈ボルジア家の間〉の壁画(1492年―1494年)やシエナ大聖堂内ピッコローミニ図書館の《教皇ピウス2世伝》壁画(1503年―1508年)などで知られる。劇的な物語性には乏しいが,大担な遠近法と特に金色の効果的な使用が目立つ。華麗な色彩特徴とする。
→関連項目ウンブリア派

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改訂新版 世界大百科事典 「ピントゥリッキョ」の意味・わかりやすい解説

ピントゥリッキョ
Pinturicchio
生没年:1454ころ-1513

イタリア,クアトロチェント(15世紀盛期ルネサンス)の画家。ピントリッキョPintoricchioともつづる。本名ベルナルディーノ・ディ・ベット・ビアージョBernardino di Betto Biagio。おそらくペルージアに生まれる。1481年から数年間ローマで,生涯にわたって影響を受けたペルジーノの助手としてシスティナ礼拝堂の壁画制作に携わる。その後もバチカン宮殿内のアパルタメント・ボルジア(1492-95ころ)や,シエナ大聖堂にあるピッコロミーニ図書館(1503-08)等の一連の壁画を手がけた。画面には平明な描写性と豊かな装飾性が見られる。またバロック期に流行した〈グロテスク文様grottesca〉の創始者の一人とされる。
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世界大百科事典(旧版)内のピントゥリッキョの言及

【ウンブリア派】より

ペルジーノに至って確かな造形形態に温雅で感傷的な表現を漂わせたウンブリア派の様式が確立される。続くピントゥリッキョは華やかな色彩による物語描写を,シニョレリは人体の動態表現を発展させた。ラファエロはこのウンブリア派のもとで初期の芸術形成を行った。…

※「ピントゥリッキョ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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