ファンデイク(英語表記)Antonie van Dyck

改訂新版 世界大百科事典 「ファンデイク」の意味・わかりやすい解説

ファン・デイク
Antonie van Dyck
生没年:1599-1641

フランドル画家。バン・ダイクとも表記する。アントウェルペンアントワープ)に生まれ,ファン・バーレンH.van Balenに師事するが,異例にも画家組合加入以前に16,17歳で独立の工房を構えていたことが知られ,神童ぶりをうかがわせる。1618年正式に親方画家の資格を得,このころからルーベンス助手となって,師匠の油彩習作に基づく本絵の制作(焼失したアントウェルペンのイエズス会教会の天井画等)やその作品の銅版画化のための模写素描の制作に従事し,独立の作品も手がけた。この時期の作品にはルーベンスの影響が顕著であるが,ルーベンスの形態把握と画面構成が動勢をはらみながらも堅固,充実,安定を示しているのに対し,彼の作品には実体感の希薄さと神経質な動揺が認められる。他方,自由な筆触を生かした柔らかい造形という絵画的表現においては,ファン・デイクはむしろ当時のルーベンスに先んじていた。21年末から27年までイタリアに滞在,ベネチア派の豊麗な色彩表現に接して自己の天性にいっそうの磨きをかける。ジェノバ貴族肖像画を多数描き,生き生きした個性の把握と貴族的な洗練の表現とを結合して,彼を17世紀の代表的肖像画家たらしめる肖像様式を確立した。複数の人物を組み合わせて演出を工夫している例があるのも注目すべき点である。帰国後はアントウェルペンの上層市民の肖像を描く一方,静かで沈うつな雰囲気の〈キリスト受難図〉や繊細な情感をたたえた〈聖母子〉と〈聖人図〉などにより,宗教画の領域でもルーベンスに拮抗しうる個性を発揮した。また神話主題も手がける。32年渡英してチャールズ1世の宮廷画家となり,騎士(ナイト)に叙せられ,英王室の人々と貴族たちの肖像を多数制作してロンドンに没した。

 ファン・デイクの貴族的肖像画様式は同時代に国際的影響力を振るったうえ,18世紀イギリスにおける肖像画の開花を準備した。またイギリスの水彩風景画の伝統も,彼が同地で描いた新鮮な風景スケッチに発するとされている。なお,30年代にファン・デイクは自身の素描に基づく同時代の著名人の肖像銅版画集成を企画しており,死後,45年にアントウェルペンで出版された100点からなる《肖像集》には,彼自身による若干エッチングも含まれている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のファンデイクの言及

【フランドル美術】より

…構想画の優位もルーベンス個人に負うところが少なくないし,彼が肖像画,風景画,風俗画をも手がけ,風景画家や静物画家との共同制作も行っていることは,その様式の支配力をいっそう強固なものとした。ルーベンスに次ぐ存在は,どちらも一時期ルーベンスの協力者であったA.ファン・デイクJ.ヨルダーンスである。前者はとくに洗練された貴族的肖像画をもって名を成し,イギリス宮廷に仕えて同国美術の展開に多大な影響を与えた。…

【ルーベンス】より

…こうして,独自の奔放な構想力を核として,古典的規範性,生気あふれる現実感覚,豊かな色彩性を統合した様式が形成される。祭壇画,神話画に加え,ジェノバでは土地の貴族の儀容性と生命感を兼備した全身肖像画を描き,ファン・デイクに継承される貴族的肖像画の新類型を創始した。 08年の帰郷後は,スペイン領ネーデルラント総督アルブレヒト大公夫妻の宮廷画家となり,また富裕な市民たちの注文で多くの祭壇画,神話画,寓意画を制作する。…

※「ファンデイク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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