フィルムノワール(英語表記)film noir

翻訳|film noir

改訂新版 世界大百科事典 「フィルムノワール」の意味・わかりやすい解説

フィルム・ノワール
film noir

フランス語で〈暗黒映画〉の意だが(本来は〈バラ色rose〉に対する〈黒色(暗い)noir〉の意味で用いられた),アメリカの犯罪映画crime movie,あるいはハードボイルド映画hardboiled-detective filmをさすアメリカの映画用語である。

 1945年にマルセル・デュアメル監修でパリのガリマール社から発売された有名な犯罪推理小説叢書〈セリノワール(暗黒叢書)〉にあやかって,〈ノワール(暗黒)〉の形容がアメリカの犯罪スリラー映画に対するオマージュとして使われるようになった。具体的には,映画研究誌《ラ・ルビュ・デュ・シネマLa Revue du Cinéma》(第2号,1946年11月号)にジャン・ピエール・シャルティエという批評家が,ジェームズ・M.ケーンの小説《殺人保険》の映画化であるビリー・ワイルダー監督の《深夜告白》(1944)と同じビリー・ワイルダー監督のアルコール中毒患者を描いた《失われた週末》(1945)およびレーモンド・チャンドラーの小説《さらば愛しき女よ》の映画化であるエドワード・ドミトリク監督の《欲望の果て》(1944)をめぐって,〈アメリカ人もまたノワールの映画(フィルム)をつくる〉という批評を書き,それが〈フィルム・ノワール〉の語源とされている。このフランス語の呼称がそのままアメリカでも使われるようになって今日に至っている。スティーブン・C.アーリー著《アメリカ映画序説》(1978)には,〈戦前のギャング映画に飽きはじめた大衆をひきつけるためにハリウッドが1940年代に,暗いペシミズムムードで味つけして生み出された新しい犯罪スリラー〉と定義され,ジョン・ヒューストン監督《マルタの鷹》(1941),ロバート・シオドマク監督《幻の女》(1944),《らせん階段》(1945),フリッツ・ラング監督《飾窓の女》(1944),テイ・ガーネット監督《郵便配達は二度ベルを鳴らす》(1946),ハワード・ホークス監督《三つ数えろ》(1946),オーソン・ウェルズ監督《上海から来た女》(1948)といった40年代の作品を中心に,ロバート・アルドリッチ監督《キッスで殺せ》(1955)からロジャー・コーマン監督《マシンガン・シティ》(1967)をへてドン・シーゲル監督《ダーティハリー》(1971),ロマン・ポランスキー監督《チャイナ・タウン》(1974)等々に至るハードボイルド・タッチのスリラー映画の何本かがその代表的作品としてあげられている。
スリラー映画 →ハードボイルド映画
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のフィルムノワールの言及

【スリラー映画】より

…ヒッチコックは,1本の映画を1人の人間の視点から撮るという映画的テクニックの極致に挑戦した《裏窓》(1954)に続いて,最初のビスタビジョン・スリラー《泥棒成金》(1955)をつくった。 いわば伝統的なスリラー映画の最後を飾ったバッド・ベティカー監督《暗黒街の帝王レッグス・ダイヤモンド》(1960)とサミュエル・フラー監督《殺人地帯USA》(1960)のあと,《007》シリーズが登場した60年代以降は,スリラー映画とよばれる作品は《動く標的》(1966),《ブリット》(1968),《フレンチ・コネクション》(1971),《ダーティハリー》(1971)など,カー・チェイスや暴力を主体にしたいろいろな傾向を生んで多様化して,アメリカでは《ゴッドファーザー》(1972)や《ジョーズ》(1975)までスリラー映画の範疇(はんちゆう)に数えられているが,他方,伝統的な犯罪映画としてのスリラーは〈フィルム・ノワールfilm noir〉(フランス語で暗黒映画の意)と呼ばれて区別されている。【柏倉 昌美】。…

【ギャング映画】より

…実際,ギャング俳優No.1のジェームズ・キャグニーが初代のGメンを演じ(ウィリアム・キーリー監督《Gメン》1935),エドワード・G.ロビンソンも《弾丸か投票か!》(1936)や《俺が法律だ》(1938)では警察の人間を演じることになる。
[変質と衰退]
 禁酒法時代を背景にした正統派ギャング映画は1939年のラオール・ウォルシュ監督,ジェームズ・キャグニー主演《彼奴は顔役だ!》を〈最後の傑作〉として消滅していき,第2次世界大戦の勃発とともにフィルム・ノワールと呼ばれる,屈折した欲望に生きる人間や悪女を主人公にした新しい時代の犯罪映画の流行にとってかわられることになる。すでにエドワード・G.ロビンソンは《暗黒王マルコ》(1938)では遅れてきたギャングを演じ,《ニューヨークの顔役》(1940)ではギャングのボスが修道僧になってしまうという喜劇的な役を演じている。…

【スリラー映画】より

…ヒッチコックは,1本の映画を1人の人間の視点から撮るという映画的テクニックの極致に挑戦した《裏窓》(1954)に続いて,最初のビスタビジョン・スリラー《泥棒成金》(1955)をつくった。 いわば伝統的なスリラー映画の最後を飾ったバッド・ベティカー監督《暗黒街の帝王レッグス・ダイヤモンド》(1960)とサミュエル・フラー監督《殺人地帯USA》(1960)のあと,《007》シリーズが登場した60年代以降は,スリラー映画とよばれる作品は《動く標的》(1966),《ブリット》(1968),《フレンチ・コネクション》(1971),《ダーティハリー》(1971)など,カー・チェイスや暴力を主体にしたいろいろな傾向を生んで多様化して,アメリカでは《ゴッドファーザー》(1972)や《ジョーズ》(1975)までスリラー映画の範疇(はんちゆう)に数えられているが,他方,伝統的な犯罪映画としてのスリラーは〈フィルム・ノワールfilm noir〉(フランス語で暗黒映画の意)と呼ばれて区別されている。【柏倉 昌美】。…

【ハードボイルド映画】より

…〈ハードボイルド〉という英語に〈非情な〉〈冷酷な〉というニュアンスが生じたのは19世紀末であるといわれているが,アメリカでは文学の用語から映画にも使われるようになり,非情,冷酷なタッチの映画がこの名で呼ばれ,その典型的な主人公が一匹狼的な私立探偵であることから,〈ハードボイルド・ディテクティブ・フィルム〉と命名され,探偵映画(ディテクティブ・フィルム)の変種として一つのジャンルとみなされるに至った。 ダシール・ハメット原作,ジョン・ヒューストン監督の《マルタの鷹》(1941),ジェームズ・M.ケイン原作,ビリー・ワイルダー監督の《深夜の告白》(1944),レイモンド・チャンドラー原作,ハワード・ホークス監督の《三つ数えろ》(1946)などがその原型とされているが,この〈ハードボイルド映画〉も含めて,1940年代,第2次世界大戦中から流行しはじめた暗い非情なタッチのアメリカの犯罪映画を総括して〈フィルム・ノワール〉と呼ぶこともある。フィルム・ノワール【柏倉 昌美】。…

※「フィルムノワール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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