フェルスマン(英語表記)Aleksandr Evgen'evich Fersman

改訂新版 世界大百科事典 「フェルスマン」の意味・わかりやすい解説

フェルスマン
Aleksandr Evgen'evich Fersman
生没年:1883-1945

ソ連邦の鉱物学者,地球化学者。ロシアの軍人の子としてペテルブルグに生まれたが,知的・芸術的な環境に育ち,母の兄弟の影響で少年時代から鉱物採集に熱中する。モスクワ大学ベルナドスキーVladimir Ivanovich Vernadskiiに鉱物学を学ぶ。1907年卒業,ドイツ,フランスに留学,ダイヤモンド結晶の論文をV.M.ゴルトシュミット連名で発表した(1911)。10年に帰国し,モスクワでシヤニヤフスキー人民大学に加わり,鉱物学を講義,12年ペテルブルグで女子高校教師。次いでアカデミー鉱物博物館,また科学普及誌《プリローダ》にかかわる。15年からロシア各地で鉱物資源を調査した。ロシア革命後,アカデミー会員,鉱物博物館長となり,ソ連各地の地質鉱物,鉱床を調査研究した。地殻中の元素分布について研究し,その存在比として,アメリカの地球化学者クラークF.W.Clarkeの名を記念してクラーク数提唱(1933)した。《地球化学》(1933-39)はその体系をまとめたもの。科学史や科学の普及にも努めた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェルスマン」の意味・わかりやすい解説

フェルスマン
ふぇるすまん
Александр Евгеньевич Ферсман/Aleksandr Evgen'evich Fersman
(1883―1945)

ロシアの鉱物学者、地球化学者。サンクト・ペテルブルグに生まれる。モスクワ大学を卒業し、2年間の外国留学中、ラクロワAlfred Lacroix(1863―1948)やゴルトシュミット(ゴールドシュミット)に学ぶ。1910年モスクワ大学教授となったが、皇帝に大学を追われた。革命後、新政府に協力し、ウラル・アルタイ地方、コラ半島の地質、鉱床の調査を行い、ペグマタイト、ダイヤモンド、燐(りん)、ニッケルなどの発見に功績をあげた。名著『地球化学』Geochemiya(1933~1939)で地球化学の体系化を行った。啓蒙(けいもう)書も多く、1955年にはフェルスマン選集が刊行されている。科学アカデミー会員。

松原 聰]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フェルスマン」の意味・わかりやすい解説

フェルスマン
Fersman, Aleksandr Yevgenyevich

[生]1883.11.8. ペテルブルグ
[没]1945.5.20. ソチ
ソ連の地球化学者,鉱物学者。軍人の子。モスクワ大学卒業後,外国留学。モスクワ大学教授 (1910) 。反政府活動により大学を追われた (11) が,十月革命後復帰,新政府に協力して,コラ半島,ウラル・アルタイ地方の地質調査に従事。地球化学の体系化と地球化学探査の発展に貢献。科学アカデミー会員 (19) 。ロモノーソフ地球化学研究所創設。レーニン勲章,スターリン賞受賞。主著『地球化学』 Geochemistry (34) 。

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百科事典マイペディア 「フェルスマン」の意味・わかりやすい解説

フェルスマン

ベルナドスキーと並ぶソ連の地球化学開拓者。ペテルブルグ生れ。モスクワのロモノソフ研究所教授。ペグマタイトおよびコラ半島のアルカリ岩とそれに伴う鉱床の研究が有名。

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