フラー(英語表記)Sarah Margaret Fuller

精選版 日本国語大辞典 「フラー」の意味・読み・例文・類語

フラー

〘感動〙 (hurrah) 歓呼・喝采の叫び。万歳。フレー。
※幻影の盾(1905)〈夏目漱石〉「一座の大衆はフラーと叫んで血の如き酒を啜る」

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デジタル大辞泉 「フラー」の意味・読み・例文・類語

フラー(hurrah)

[感]歓呼・喝采かっさいの叫び。万歳。

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改訂新版 世界大百科事典 「フラー」の意味・わかりやすい解説

フラー
Sarah Margaret Fuller
生没年:1810-50

アメリカの作家,評論家。幼少から父親の厳しい教育を受け,10代でヨーロッパの古典から近代までの作品を学び,ハーバードの知識人とも親しく交わった。1839-44年,ボストンで〈会話〉集会を組織し,当時のインテリ女性や超越主義者(トランセンデンタリズム)たちと,芸術,倫理,信仰,女性などさまざまな問題を語り合い思想を深めていった。〈会話〉の内容は著書《19世紀の女性》(1845)にも示されており,社会的制約からの女性の解放を唱えた。40-42年にはエマソンらと超越主義者の雑誌《ダイアル》を編集。最初の著書《湖の夏》(1844)が認められ,44-46年H.グリーリーの《ニューヨーク・トリビューン》紙の文芸評論家となる。同紙での評論は《文学と美術》(1846)として出版され高く評価された。46年,ヨーロッパに旅し,イタリアで革命運動家オッソリ男爵と知り合い,ともに革命に参加した。48年オッソリとの間に男子をもうけ,翌年結婚,ローマ共和国崩壊後の50年,帰国の途についたが,ニューヨーク沖で船が難破し,一家は没した。
執筆者:

フラー
Richard Buckminster Fuller
生没年:1895-1983

アメリカの技術家,デザイナー,建築家。マサチューセッツ州ミルトンMilton生れ。ハーバード大学中退。第1次大戦中に入った海軍の時代が,この独創的な技術家の形成期となる。宇宙あるいは自然を〈人間の,理解され,伝達された経験の集合〉とみなし,それをエネルギーenergyとシネルギーsynergyの複合体ととらえる立場から,一連のテクノロジー開発を推進。その一つが1927年に始まる〈ダイマクション計画〉である。〈ダイマクションDymaxion〉とはフラーの造語で,最小のエネルギー入力で最大の効率をひき出すことを意味し,同計画はダイマクション・ハウス,ダイマクション自動車などを生む。もう一つは,建造物を不連続の圧縮と連続する引張りの複合として構造化しようとする着想で,これは〈ジオデシック・ドームgeodesic dome〉に結実した(モントリオール万国博アメリカ館,1967など)。こうした個々の開発をこえて,さらに彼の構想は地球全体,宇宙にまで拡大された。著書に《宇宙船地球号》(1969)などがある。
執筆者:

フラー
John Frederick Charles Fuller
生没年:1878-1966

イギリスの陸軍少将,軍事評論家,戦史家。チチェスターの生れ。ボーア戦争に参加,第1次世界大戦ではイギリス戦車隊参謀として,史上初の戦車の大量集結,奇襲的運用で成功したカンブレーの戦闘の計画に参加,また1918年以降の連合軍の攻勢における戦車運用を計画,戦後も将来戦は戦車を中心とする快速の機動戦であるとして,軍の装甲機械化を主張した。しかし軍の主流とはなりえず,33年退役,その後は軍事評論,新聞社特派員として著述に専念した。彼の機械化近代軍運用の思想は,イギリスに対する影響は小さかったが,ドイツ,ソ連の軍事界に,リデル・ハートの主張とともに大きな影響を与え,のちのドイツ軍の電撃戦を生むこととなった。第2次世界大戦後は多くの戦争史を著述している。
執筆者:

フラー
Lon Lovins Fuller
生没年:1902-78

現代アメリカの代表的法哲学者。1948年以降R.パウンドの後を継ぎハーバード大学教授。フラーは法を定義して〈人間の行動を規則(ルール)に従わせようとする企てである〉と,一種行動主義的に規定する。この規則が国家権力の命令でなく,これを日常的に扱う法律実務家の努力の所産たる命令であるという点で,オースティンやケルゼンの法実証主義はしりぞけられるが,この法を内的に支える道徳が最高の自己完成を目ざしての〈実体的〉自然法ではなく,法の一般性の確立,公布の必要,無矛盾性や明瞭性,不遡及などを求める低次の〈手続的〉自然法であるという点で,通常の自然法論者とも異なる。主著は《法と道徳Morality of Law》(1964)。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フラー」の意味・わかりやすい解説

フラー
Fuller, Richard Buckminster

[生]1895.7.12. マサチューセッツ,ミルトン
[没]1983.7.1. ロサンゼルス
アメリカの発明家,建築家,技術家,詩人,思想家。ハーバード大学中退。第1次世界大戦に従軍中,新式の救命具の考案が認められ,海軍兵学校の教官に任命される。戦後,義父と共同で建築会社を設立 (1922) 。南イリノイ大学教授 (59) 。建築会社倒産 (27) 後は,特異な観点から,宇宙的スケールの包括的長期技術・経済計画を構想,エネルギー,情報,都市問題,環境問題,交通,住宅,食糧など多分野にわたって独自の理論を展開。また構想実現のために多方面の発明,考案を行なった。特に 1933年発表のダイマクション・カーと呼ばれる低燃費の万能車,すぐれた構造をもつ建築ドーム (測地線ドーム,53年発表) などは,十分実用性をもち,その後の技術発展に大きく貢献した。 68年の建築部門でイギリス王立研究所のゴールド・メダル受賞をはじめ多くの栄誉を得た。主著『月への九つの連鎖』 Nine Chains to the Moon (38) のほか多数の著書がある。

フラー
Fuller, (Sarah) Margaret

[生]1810.5.23. マサチューセッツ,ケンブリッジポート
[没]1850.7.19.
アメリカの女流評論家。父親のきびしい知的訓練を受け,10歳足らずで数ヵ国語に熟達し,ヨーロッパ文学にも親しんだ。エマソンその他の超絶主義者たちと交わり,機関誌『ダイアル』を編集 (1840~42) するかたわら,婦人の意識向上のためのクラスを開設 (39~44) 。 1844年『ニューヨーク・トリビューン』紙の文芸欄を担当,社会改革を論じたり,自国およびヨーロッパの文学の批評,紹介を行い,46年ヨーロッパに渡った。翌年ローマに定住,オッソーリ侯と結婚,イタリア解放運動に加わったが,フランス軍の弾圧にあってローマを脱出,50年帰国の途上難船,家族とともに溺死。代表的著作に『19世紀の女性』 Woman in the Nineteenth Century (45) ,『故国と外国』 At Home and Abroad (56) ,回想録『外なる生活,内なる生活』 Life Without and Life Within (59) 。

フラー
Fuller, John Frederick Charles

[生]1878.9.1. ウェストサセックス,チチェスター
[没]1966.2.10. コーンウォール,ファルマス
イギリスの陸軍軍人,軍事評論家。南アフリカ戦争に従軍,第1次世界大戦で戦車隊を指揮し,ソンム,カンブレーの戦い (1917) で戦車による新作戦を用いて成功。 1918年連合軍機甲部隊の指揮官として活躍,第1次世界大戦を勝利へ導いた。 30年少将。 33年の退役後は軍事作戦の著述,『デイリー・メール』紙の特派員として第2次エチオピア戦争,スペイン内乱などを取材。第2次世界大戦中も著述に専念し,のちに戦争史を著わした。主著に『大戦下の戦車』 Tanks in the Great War (1920) ,『第2次世界大戦』 The Second World War,1939-1945 (48) がある。

フラー
Fuller, Roy (Broadbent)

[生]1912.2.11. ランカシャーオールダム
[没]1991.9.27. ロンドン
イギリスの詩人,小説家。オーデンらの影響で社会意識の強い作品を書いた。『戦いのさなか』 The Middle of a War (1942) ,『失われた季節』A Lost Season (44) ,『墓碑銘と偶作』 Epitaphs and Occasions (49) を経て,『ブルータスの果樹園』 Brutus's Orchard (57) では心理的哲学的な傾向を強めた。『新詩集』 New Poems (68) のほか,『社会のイメージ』 Image of a Society (56) などの小説がある。 1968~73年オックスフォード大学詩学教授。

フラー
Fuller, Lon Luvois

[生]1902.6.15. テキサス,ハーフォード
[没]1978.4.8. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカの法哲学者。スタンフォード大学卒業後,オレゴン,イリノイ,デュークの各大学で教え,1939年にハーバード大学に移り,48年から法哲学講座を担当。自然法論者と目されたが,形而上学的な自然法論に対しては批判的で,共同生活を可能ならしめる社会秩序の原理という,いわば技術的な自然法を経験的に探求しようとした。法の目的を達成するために不可欠な要請を列挙し,それを「法の道徳」として示したことは特に名高い。主著『法の道徳』 Morality of Law (1964) 。

フラー
Fuller, Thomas

[生]1608.6.19. 〈洗礼〉ノーサンプトンシャー,アーニクル
[没]1661.8.16. ロンドン
イギリスの聖職者,歴史家。内乱が起ると王党派の従軍牧師となり,王政復古後はチャールズ2世の教会堂牧師に任命された。『聖戦の歴史』A History of the Holy War (1639) ,クロムウェルを風刺した『アンドロニカス,不運な政治家』 Andronicus,or the Unfortunate Politician (46) ,小伝を集めた『イギリス名士列伝』 History of the Worthies of England (62) などがある。

フラー
Fuller, Loie

[生]1862.1.15. イリノイ,フラーズバーグ
[没]1928.1.1. パリ
アメリカの舞踊家。正規の舞踊教育を受けず,幼少からショー・ビジネスの舞台を踏んだ。 1891年頃からスカーフやロングスカートなどを巧みに使うコスチューム・ダンスを考案し,独舞で踊った。『蛇の踊り』で成功を収めたのちパリに渡り,A.フランスやロダン,トゥールーズ=ロートレックらにその芸術性が高く評価され,1900年のパリの万国博覧会に登場。色彩的な照明を効果的に駆使して世紀末芸術の典型といわれた。モダン・ダンスの源流の一つともいわれ,そのほか『火の踊り』などが知られる。

フラー
Fuller, Melville Weston

[生]1833.2.11. メーン,オーガスタ
[没]1910.7.4. メーン,ソレント
アメリカの法律家。シカゴで弁護士として成功。 1888~1910年第8代連邦最高裁判所長官。伝統的な個人の権利および財産権を擁護し,法の厳格な解釈者として知られる。

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百科事典マイペディア 「フラー」の意味・わかりやすい解説

フラー

米国の映画監督。マサチューセッツ州生れ。新聞記者をへて小説を数点発表した後,脚本家に転向。《地獄への挑戦》(1949年)で監督デビュー。《拾った女》(1953年),日本ロケを行った《東京暗黒街・竹の家》(1955年),西部劇《四十挺の拳銃》(1957年)などの犯罪・アクション映画で注目される。低予算を逆手に取った簡潔かつダイナミックな演出が,ヌーベル・バーグの監督に影響を与えた。J.-L.ゴダール監督《気狂いピエロ》(1965年)に出演して語った〈映画は戦場だ〉という言葉は有名。他の作品に《ショック集団》(1963年),《裸のキッス》(1964年),自らの戦争体験を反映させた《最前線物語》(1980年),《ストリート・オブ・ノー・リターン》(1989年)などがある。

フラー

米国の作家,評論家。子を女性だと認めたくなかった父親の意向で,当時の男子の古典教育を受けた。早くから知的な話術で評判となる。1836年にはエマソンに感銘を受け,家族を離れてボストンで生活を始め,1839年にはトランセンデンタリズム運動の成立に関わる。《19世紀の女性》(1845年)は男女が補足しあう両性具有的イメージを描いて,その後のフェミニズム運動を大きく方向づけた。

フラー

米国の技術家,デザイナー,建築家。マサチューセッツ州生れ。ハーバード大中退。第1次世界大戦で海軍に入隊。1927年より〈最小のエネルギーで最大の意味を引き出す〉意味の造語からなる〈ダイマクションDymaxion計画〉を推進し,住宅や自動車の設計を行う。また基本単位となる四面体と八面体の組合せにより,廉価で迅速な大空間の構成を可能にした〈ジオデシック・ドームgeodesic dome〉を開発し,〈マンハッタンのジオテック・ドーム〉のプラン(1961年)やモントリオール万国博覧会アメリカ館(1967年)を手がける。著書《宇宙船地球号》(1969年)などとともに,地球環境のあり方に対するさまざまな提案を残した。
→関連項目フォスター

フラー

英国の陸軍軍人,戦略家。ボーア戦争に参加,第1次大戦では英国戦車隊の参謀として,戦車の有効利用の戦術を考案。戦車を中心にした奇襲攻撃こそが勝利を決定づけるとする軍の機械化構想を主張したがいれられず,1933年に退官。以後軍事評論家,戦史家として活躍した。彼の構想は第2次大戦においてドイツ,ソ連に採用されて,電撃戦を生んだ。

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367日誕生日大事典 「フラー」の解説

フラー

生年月日:1902年6月15日
アメリカの法哲学者
1978年没

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世界大百科事典(旧版)内のフラーの言及

【機甲部隊】より

…その後集団用法の採用,機動力の向上に努めた連合軍は戦車によって戦況の打開に成功した。第1次世界大戦後,イギリスのJ.F.C.フラー,B.リデル・ハートらは敵の指揮中枢を一挙に打撃して勝敗を決する機甲部隊の創設を提唱したが,現実にはドイツにおいてA.ヒトラーの支持を得たH.グーデリアンがこれを最初に建設した。第2次世界大戦においてこの機甲部隊が急降下爆撃機と連係して電撃戦を実施し成果をおさめた。…

【契約】より

…たとえ信頼関係に裏づけられた人間関係の中でも,契約関係は明瞭に定めるという習慣が必要となっているのである。現代の法哲学者L.L.フラーは,親密な関係と敵対的関係においては秩序づけの原理としての契約は適当ではなく,〈好意をよせあう他人〉の間でのみ契約が機能するといった考え方を提示したが,このような考え方が契約関係の最も困難な点を表現しているとみてもよい。【小坂 勝昭】
[日本史上の〈契約〉]
 約束すること,また言い交わすことで,用語としては現代とほぼ同じだが,必ずしも法律的用語として限定されてはおらず,現代の日常語としての約束にちかい。…

【トランセンデンタリズム】より

…超越主義,超絶主義と訳す。エマソンの《自然》(1836)出版後,彼の周囲に集まったユニテリアン派の牧師たち(ヘッジFrederic H.Hedge,T.パーカー,リプリーGeorge Ripley,W.E.チャニングら),随筆家H.D.ソロー,教育家A.B.オールコット,批評家S.M.フラー,詩人チャニングWilliam E.Channing,ベリーJones Veryなどがその代表者である。彼らの討論会が〈超越クラブTranscendental Club〉と報道され,この言葉が彼らの思想の名称となった。…

※「フラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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