ブラディ(英語表記)Mathew B.Brady

改訂新版 世界大百科事典 「ブラディ」の意味・わかりやすい解説

ブラディ
Mathew B.Brady
生没年:1823-96

アメリカの写真家。ニューヨーク州レークジョージの近くで生まれる。初め画家を志すが,のちにダゲレオタイプ(銀板写真)を習得し,1844年ニューヨークにスタジオを開業する。その後ワシントンにもスタジオを開くなどして多くの名士の写真を撮り,肖像写真家として成功した。50年にはダゲレオタイプをもとにして《著名アメリカ人の画廊》というポートレート集を出版し,その名声を不動のものにした。その中でも,A.リンカンのポートレートは特に有名である。61年,南北戦争が勃発するや撮影隊を編成し各戦線に従軍し,湿板法により8000枚もの写真を撮影した。ブラディの名前で発表されたが,実際には助手のガードナーAlexander Gardner(1821-82)やオサリバンTimothy H.O'Sullivan(1840-82)によるものが多い。ブラディの企図と指導のもとに撮影された南北戦争の写真は,戦争の悲惨栄光を雄弁に語るものとして,また写真のもつ冷厳な記録性を証明するものとして非常に重要である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラディ」の意味・わかりやすい解説

ブラディ
ぶらでぃ
Mathew B. Brady
(1823―1896)

アメリカの写真家。電信の発明者モースに写真術を学ぶ。1844年、政治家や財界人を相手に営業写真館をニューヨークで開業、成功し、アダムスからマッキンリーに至る大統領の肖像写真を手がけた。1861年、南北戦争勃発(ぼっぱつ)とともに、完璧(かんぺき)な記録写真を残そうと、アレキサンダー・ガードナーら20人のスタッフを雇い、総指揮をとるが、著作権問題で有能なスタッフが離反し、写真記録も市場を確保できず、当時で10万ドルの負債を抱えて破産。のち、その記録写真の一部は政府が買い上げるが再起できず、過去の栄光とは無縁のまま、慈善病院で孤独の生涯を閉じた。

[平木 収]


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世界大百科事典(旧版)内のブラディの言及

【写真】より

…そして写真(フィルム)の感光度が高くなるまで,こうした古典的な肖像画の様式を踏襲したともいえるスタイルは,一般的な傾向として続いたのである。このほかにも初期の時代の著名な肖像写真家として,アメリカのM.B.ブラディ,フランスのナダールらがいる。ブラディは多くの名士を撮りその写真集を出版,1861年には年間3万枚を超える肖像を撮ったといわれる。…

【報道写真】より

…その多彩な展開と意義については,今日ますます注目すべきものがあるといってよい。例えば,古くは世界最初の従軍写真家としてクリミア戦争を撮ったロジャー・フェントン(1885)や,南北戦争を撮ったM.B.ブラディ(1861)らの写真は,現在の日々消費されるニュース写真とはまったく違う性格をもっている。彼らが〈記録〉にかけた意欲はきわめて旺盛であり,戦争に対する自覚的な関わり方は,単に事件があるから出向くといったような姿勢ではない。…

※「ブラディ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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