プチジャン(読み)ぷちじゃん(英語表記)Bernard Thadée Petitjean

精選版 日本国語大辞典 「プチジャン」の意味・読み・例文・類語

プチジャン

(Bernard Petitjean ベルナルド━) パリ外国宣教会神父。フランス生まれ。一八六〇年来日、献堂直後の長崎大浦天主堂浦上キリシタン邂逅した信徒発見有名。一八六八年ローマ歴訪の折、キリシタン版を発見。これを契機に、のちプチジャン版といわれるキリシタン版宗教書復刻を試みたが、明治開明期の和漢混交文隆盛期にあってこの版の和文体は時代に逆行するため、用いられなかった。(一八二九‐八四

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プチジャン」の意味・わかりやすい解説

プチジャン
ぷちじゃん
Bernard Thadée Petitjean
(1829―1884)

フランスのパリ外国宣教会宣教師。開国後の1863年(文久3)那覇(なは)に上陸、同年長崎に渡った。1865年(慶応1)の大浦天主堂建立に従事し、同年3月17日、浦上(うらかみ)の潜伏キリシタンと劇的な邂逅(かいこう)をした。翌1866年日本司教となりキリシタン復活に努めたが、1867年の浦上四番崩れ、1870年(明治3)の浦上信徒20藩22か所配流(はいる)などの迫害に直面して、信徒の激励とその釈放奔走、1873年の禁令撤廃まで苦難の日を送った。この間、二度ローマを往復し、さらに1867年にもローマに赴き、日本教会を北緯南緯に二分する許可を得て、南緯教会の司教となり、その発展に献身した。1884年(明治17)10月長崎で没し、浦上天主堂内に葬られた。なおその業績は教育事業に及び、サン・モール修道女会や、のちに信愛女子学院を設立する「ショファイユの幼きイエズス会」などの誘致に尽力した。

[磯見辰典 2018年2月16日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「プチジャン」の解説

プチジャン Petitjean, Bernard Thadée

1829-1884 フランスの宣教師。
1829年6月14日生まれ。文久2年(1862)パリ外国宣教会の派遣で来日,翌年横浜から長崎にうつる。大浦天主堂建設につくし,浦上の隠れキリシタンを発見。慶応2年日本代牧,明治9年南緯教区代牧となる。多数のプチジャン版とよばれる宗教書を刊行した。明治17年10月7日長崎で死去。55歳。オータン神学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android