プレスブルク条約(読み)プレスブルクじょうやく(英語表記)Treaty of Pressburg

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プレスブルク条約」の意味・わかりやすい解説

プレスブルク条約
プレスブルクじょうやく
Treaty of Pressburg

1805年 12月 26日,オーストリアとフランスとの間にハンガリープレスブルク (現スロバキアのブラチスラバ) で結ばれた講和条約アウステルリッツの戦いでナポレオン1世に敗れたオーストリアは,この和約で多額の賠償金を約束したほか,先のカンポフォルミオ条約で得たベネチアを放棄,またピェモンテ,パルマ,ピアチェンツァをもナポレオンに奪われて,イタリアから締出された。さらにドイツでは,ザルツブルクベルヒテスガーデンを与えられる代りに,チロルやフォールアルベルクをバイエルンに譲り,ナポレオンと同盟していたバイエルン公とウュルテンベルク公に王号を与え,これら両国をバーデンとともに皇帝への封臣関係から解除することによって,神聖ローマ帝国の解体を準備した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のプレスブルク条約の言及

【対仏大同盟】より

…第2次は,98年にイギリス,ロシア,トルコ,オーストリア,両シチリアなどの間で結ばれたが,オーストリアとのリュネビル条約(1801)およびイギリスとのアミアン条約(1802)によって解消した。第3次は,1805年にイギリス,オーストリア,ロシア,スウェーデンなどの間で結ばれたが,オーストリアとのプレスブルク条約(1805)によって解消した。第4次は,06年にイギリス,プロイセン,ロシアなどの間で結ばれたが,プロイセン,ロシアとのティルジット条約(1807)によって解消した。…

※「プレスブルク条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android