出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
ドイツの詩人,小説家。南ドイツのシュワーベンの町カルフでプロテスタント聖職者の家庭に生まれる。少年期を過ごした美しい故郷はヘッセにとって終生魂の故郷ともなったが,この地の敬虔主義の厳格な雰囲気は,13歳で詩人になることを決意したヘッセの苦しい葛藤の因ともなった。両親は,母方の祖父ヘルマン・グンデルトのインドでの布教活動を手伝っており,ヘッセの東洋志向の契機をなした。4歳から9歳までバーゼルで過ごす。14歳のときマウルブロン神学校に入学したが,ここの規律と詰込み教育に耐えられず退学。以後,書店員見習,機械工見習などさまざまな職場を転々とするかたわら文学修業に努め,22歳で詩集《ロマン的な歌》《真夜中後の一時間》(1899),24歳で《ヘルマン・ラウシャー》(1901),25歳で《詩集》(1902)を出し,念願の詩人としての道を歩み始める。彼の出世作は《ペーター・カーメンツィント》(1904,邦訳名《青春彷徨》《郷愁》)で,魂のロマン的な憧憬とみずみずしい自然感情が自然主義文学に飽きてきた当時の読者に迎えられた。作家として独立し結婚(1904),新居をボーデン湖畔の小村ガイエンホーフェンに構えて創作に専念し,《車輪の下》(1906),《ゲルトルート》(1910,邦訳名《春の嵐》)刊行。34歳のときアジアへの旅に出,帰国後スイスのベルンに移住。1914年,《ロスハルデ》刊行。同年第1次大戦が起こり,戦争を公然と非難したため,ドイツより裏切り者と攻撃される。ヘッセの平和主義的態度をたたえたロマン・ロランと交友が始まる。このころ家庭的不幸が加わり内外の苦難のためノイローゼに陥って,精神分析の治療を受け,C.G.ユングとも接触した。この経験をもとに《デーミアン》(1919)を書く。この作品以後,従来の抒情性よりも意識的に精神の世界を探求する知的な面を強めていく。18年,南スイスのモンタニョーラにひとり移り住む。真我に到達しようとする求道の書《シッダールタ》(1922)執筆。27年,浅薄な現代文明と画一化された社会を批判すると同時に自己の内面を仮借なく解剖した実験的な小説《荒野の狼》刊行。30年,《ナルツィスとゴルトムント》刊行。ナチスのファシズムが強まっていくなかで,11年間をかけて,時代批判に基づく象徴的理念的世界を描いた未来小説《ガラス玉遊戯》(1943)を書き続けた。終戦直後,ゲーテ賞,ノーベル文学賞受賞。62年8月9日,モンタニョーラで亡くなった。
日本では昭和10年代以来,そのリリシズム,憧憬や漂泊の思い,東洋的観想などが日本人の資性に応ずるところがあってか一般にはよく読まれ,求める魂の彷徨を通して自己形成を図っていく内面追求の作品が日本の青年にも共感を呼んでいる。
執筆者:渡辺 勝
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