ベック(英語表記)Beck

精選版 日本国語大辞典 「ベック」の意味・読み・例文・類語

ベック

(Henry Becque アンリ━) フランスの劇作家。「人生の断片」の再現をめざす厳格な写実主義的手法をとり、フランス近代演劇の発展に寄与。作「からすの群れ」など。(一八三七‐九九

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現代外国人名録2016 「ベック」の解説

ベック
Beck

職業・肩書
ミュージシャン

国籍
米国

生年月日
1970年7月8日

出生地
カリフォルニア州ロサンゼルス

本名
ハンセン,ベック〈Hansen,Beck〉

受賞
グラミー賞(最優秀男性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞,第39回)〔1997年〕「ホエア・イッツ・アット」,グラミー賞(最優秀オルタナティブ・ミュージック・パフォーマンス賞,第39回)〔1997年〕「オディレイ」,グラミー賞(最優秀アルバム賞,第57回)〔2015年〕「モーニング・フェイズ」

経歴
母方の祖父はアート集団、フルクサスのメンバーのアル・ハンセン、父はブルーグラス出身のアレンジャー、デービッド・キャンベル。両親の離婚をきっかけに自立。早くからブルースやフォークの影響を受け、高校中退後、路上でアコースティック・ギターを弾く。1993年4時間で録音したというシングル「ルーザー」をインディーズのレーベルからリリース。これがカレッジチャートを中心に大きな反響を呼び、’94年には大手レーベルのゲフィンと契約を交わして同曲を含む初のアルバム「メロウ・ゴールド」を発表。同年初来日。’96年にはセカンドアルバム「オディレイ」が米国のみならず世界中でヒットし、’97年グラミー賞最優秀オルタナティブ・ミュージック・パフォーマンス賞を、収録曲「ホエア・イッツ・アット」で最優秀男性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞、グラミー賞2冠に輝く。’99年アルバム「ニューテイションズ」発表後に日本ツアーで来日した際には、祖父アル・ハンセンと共同のアート展も開催した。2008年のアルバム「モダン・ギルト」は全米4位・全英9位となり、グラミー賞最優秀オルタナティブ・アルバム賞にノミネートされた。2015年「モーニング・フェイズ」でグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞。他のアルバムに「ミッドナイト・ヴァルチャーズ」「グエロ」「ザ・インフォメーション」などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「ベック」の意味・わかりやすい解説

ベック
Henry François Becque
生没年:1837-99

フランスの劇作家。自然主義演劇の大成者といわれる。貧しい家に生まれ,高等中学卒業後,生活のために諸種の職業に就きながら,オペラ台本,ボードビルを書いた。最初の重要な劇作品は社会劇《ミシェル・ポペール》(1870)であるが,すぐには認められなかった。1幕喜劇《梭(ひ)》(1878),《堅気の女》(1880)でようやく一部に注目され,1882年には傑作《鴉(からす)の群れLes Corbeaux》がコメディ・フランセーズで初演された。しかしこれも〈陰気すぎる〉などの非難を浴び,賛否両論だった。つづく《パリの女La Parisienne》(1885)の初演も惨めな結果だった。貪欲で無道徳な人物を登場させ,あるがままの人生を冷酷に舞台化したこれら2作は,それまでの演劇の因襲を打破する革新性をもち,自然主義演劇の完成を示していた。ただしこれらが認められたのは,A.アントアーヌ自由劇場発足(1887)以後のことである。大作喜劇《ポリシネル》は未完のままで,貧困と孤独に苦しみながら,不幸な一生を終えた。
執筆者:

ベック
Hermann Beckh
生没年:1875-1937

ドイツの仏教学者。ニュルンベルクに生まれ,当時インド学の世界的中枢といわれたベルリン大学でサンスクリットを学び,多数の仏典をドイツ語に翻訳した。彼は仏教を独自の〈生命の流れ〉であると定義し,単なる哲学や宗教教義を超越した実践思想の体系であると主張した。そしてこの肥沃な流れを別系統の〈生命の流れ〉すなわちキリスト教に合流させることこそ,西洋の精神的危機を救う道だと説いた。こうした彼の思想は1913年に開始された人智学運動と一致点を見いだした。また22年,F.リッテルマイヤーが人智学を基盤とする〈キリスト者共同体〉を設立したとき,彼もベルリン大学教授の職をなげうってこれに参加,死ぬまで教団活動を続けた。主著《仏教》(1928)は仏教的実践の要綱をヨーガにもとめた啓蒙書で,邦訳もされた。
執筆者:

ベック
August Böckh
生没年:1785-1867

ドイツの古典学者。19世紀前半を代表する学者としてG.J.ヘルマンと並び称される。ハレ大学シュライエルマハーとF.A.ウォルフに師事した。ハイデルベルク大学教授を経て,1811年には創立されたばかりのベルリン大学に古典学教授として招かれ,以後56年間その地位を保った。初めプラトン,ギリシア悲劇ピンダロスなどの個別研究で業績を上げたが,ベルリン大学教授となってからは,ウォルフの構想を受け継いで,古代世界の全体像を包括的に理解しようとする〈古代学〉の理念を提唱した。この理念に則して,都市国家アテナイの財政に関する最初の実証的研究書(1817)をみずから著し,また史料整備のため《ギリシア碑文集成》(1825-77)をベルリン学士院に刊行させて,近代的な碑文研究の基礎を築いた。
執筆者:

ベック
Leo Baeck
生没年:1873-1956

ポズナン(現,ポーランド領)生れのドイツ系ユダヤ人ラビ。1912年以降ベルリンのラビ職にあり,リベラルな立場からのユダヤ教解釈を行った。33年ドイツ・ユダヤ人組織の代表となってヒトラーによる迫害の苦難期に精神的指導者,道徳的支柱の役を果たした。第2次大戦末期には強制収容所に送られ,戦後ロンドンに居住。ユダヤ学の業績も多く,主著に《ユダヤ教の本質》(1923),《ユダヤ教の道》(1933)等がある。彼を記念する〈レオ・ベック研究所〉は1954年ロンドン,ニューヨークエルサレムに設立され,ドイツ・ユダヤ人史に関する資料収集,業績出版,年鑑の刊行を続けている。
執筆者:

ベック
Ludwig Beck
生没年:1880-1944

ドイツの軍人。1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件の中心人物。ライン地方の工業家の子として生まれ,1930年以来保守的なナチス支持者だったが,34年以降道徳的潔癖さからナチス批判に転じ,38年8月,ヒトラーのチェコ侵略の企図に反対して陸軍参謀総長を辞任。その後,保守派の政治家ゲルデラーや社会民主党,労働組合関係者までの広がりをもち,シュタウフェンベルク大佐を推進力とする反ヒトラー陰謀の指導者となった。しかし,7月20日の決起は失敗に帰し,自殺した。
執筆者:

ベック
Karl Isidor Beck
生没年:1817-79

ドイツの青年ドイツ派に属する詩人。ハンガリーのユダヤ系商人の家に生まれ,ウィーン,ベルリンなど各地を放浪する。詩集《武装した歌》(1838)でデビュー。《貧者の歌》(1846)では,当時ドイツで問題となっていた大衆的貧困と呼ばれる社会問題を題材としたが,同時代人エンゲルスにより,いわゆる〈真正社会主義者〉の〈小市民性〉を示す好例として,厳しく批判された。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベック」の意味・わかりやすい解説

ベック
Beck, Johann Tobias

[生]1804.2.22. バーリンゲン
[没]1878.12.28. テュービンゲン
ドイツの神学者。ウァルトタンとバートメルゲントハイムで牧師をつとめ (1824) ,その後バーゼル大学助教授 (36) 。テュービンゲン大学組織神学教授のかたわら,シュティフト教会説教者 (43~78) をつとめる。シュワーベン敬虔主義の代表者の一人。 J.A.ベンゲルおよび P.ハーンから救済史的研究方法と聖書主義を継承して,F.C.バウルの批判的・思弁的神学に対して聖書主義を固守し,また信仰の倫理的要素を強調した。彼の思想はフィンランド神学に強く影響している。主著"Die christliche Lehrwissenschaft nach den biblischen Urkunden" (47) ,"Vorlesung über christliche Ethik" (3巻,82~83) ,"Treu und Frei. Zwischenreden aus den Vorlesungen über Glaubenslehren" (1935) 。

ベック
Becque, Henry François

[生]1837.4.28. パリ
[没]1899.4.12. パリ
フランスの劇作家。貧しい家庭に生れ,早くから鉄道局,株式仲買事務所などで働いた。オペラ台本を書いて劇壇にデビュー,風俗喜劇を書きはじめたが,1871年自作の失敗が原因で劇作から遠ざかり,新聞に劇評を発表。 78年再び創作に戻って一幕物『行ったり来たり』 La Navetteを発表,次いで自然主義演劇の傑作『烏の群れ』 Les Corbeaux (1882) ,『パリの女』 La Parisienne (85) で大成功を収めた。未完の喜劇『道化たち』 Les Polichinelles,回想記『ある劇作家の思い出』 Souvenirs d'un auteur dramatique (95) がある。

ベック
Bek, Aleksandr Al'fredovich

[生]1903.1.3. サラトフ
[没]1972.11.4. モスクワ
ソ連の作家。初めルポルタージュ作家として『イズベスチア』『プラウダ』紙などに記事を載せていたが,1934年に中編小説『クラーコ』 Kurakoを書き,小説家としての道を歩み出した。妻のロイコと合作の『若者たち』 Molodye lyudi (1954) など技術進歩を支える労働者の創意をテーマとした作品が多い。ほかに『ボロコラムスク街道』 Volokolamskoe shosse (43~44) ,『数日間』 Neskol'ko dnei (60) など。

ベック
Beck, Józef

[生]1894.10.4. ワルシャワ
[没]1944.6.5. スタネシュティ
ポーランドの軍人,政治家。第1次世界大戦中,ポーランド軍団に参加,J.ピウスツキの信任を得る。 1926~30年軍事相,30年副首相,32~39年外相を歴任。外相としては独ソ間の均衡外交を推進して失敗。ポーランドの崩壊 (1939) 後,ルーマニアに亡命,客死。

ベック
Beck, Martin

[生]1867.7.30. リプトセントミクロシュ
[没]1940.11.16. ニューヨーク
ハンガリー生れのアメリカの興行師。パレス劇場 (1913) やマーティン・ベック劇場 (24) を建て,多くのボードビルやミュージカル・コメディーを上演。

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百科事典マイペディア 「ベック」の意味・わかりやすい解説

ベック

ユダヤの宗教的指導者。現ポーランド領のポズナン生れのドイツ系ユダヤ人で,1912年−1942年,ベルリンのラビ(ユダヤ教の聖職者)を務めた。リベラルなユダヤ教解釈を行い,1933年ドイツのユダヤ人組織の代表者となる。ナチスが台頭しユダヤ人の迫害が始まると,ユダヤ人社会の精神的指導者,政治的指導者の役を果たしたが,第2次大戦中の1942年−1945年,テレジーンシュタット強制収容所に送られた。戦後はロンドンに住んで講話活動を行った。ユダヤ学の業績も多く,《ユダヤ教の本質》(1923年),《ユダヤ教の道》(1933年)などの著書がある。1954年には〈レオ・ベック研究所〉がロンドン,ニューヨーク,エルサレムに設立され,ドイツ・ユダヤ人史の資料の収集や業績出版などを行っている。

ベック

フランスの劇作家。貧しい家に生まれ,職を転々としながら,劇作の修業にはげむ。病死した小工場主の遺族を食いものにするエゴイストたちの姿を描いた《カラスの群》(1882年)が代表作。ほかに《パリの女》など。A.アントアーヌの自由劇場発足後,評価が高まった。フランス自然主義演劇の創始者。

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367日誕生日大事典 「ベック」の解説

ベック

生年月日:1785年11月24日
ドイツの古代学者
1867年没

ベック

生年月日:1880年6月29日
ドイツの上級大将
1944年没

ベック

生年月日:1970年7月8日
アメリカのミュージシャン

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世界大百科事典(旧版)内のベックの言及

【鉄】より

…その理由の一つとして,鉄鉱石から鉄を取り出すために必要な高熱(融点約1540℃)の獲得が古代人にとり長い間技術的に困難であったことが挙げられてきた。しかし,《鉄の歴史》全5巻(1884‐1903)の大著で知られ,みずから製鉄家でもあったベックLudwig Beck(1841‐1918)は,鉄の還元が銅の溶融(1084.5℃)よりも低い温度で始まることを指摘し,製鉄の起源をはるか古い時期に想定し,青銅器時代に先行すると主張した。ベックが説いたように,確かに鉄は低い温度で還元するけれども,それは直ちに製鉄の容易なことを証しない。…

【解釈学】より

…解釈者はテキストから生きた信仰のメッセージをひきださねばならないからである。 多様な解釈を統一する〈了解〉の一般理論を探求することによって,それまでの領域別解釈学を一般解釈学に普遍化しようとする動きは,19世紀にA.ベックやシュライエルマハーによって開始された。シュライエルマハーは聖書釈義学と古典文献学の両方の解釈技法を整合することに努めた。…

【金石学】より

…これらの金石文は,古代ギリシア人が居住し,生活していた全域より出土し,その年代分布も前8世紀後半から後4世紀末におよぶ。金石文への言及あるいはテキストの収集・公刊は,すでに古代ギリシアの著作家たちによってなされ,近代においてはルネサンス期と啓蒙主義時代にテキストの収集と刊行が行われているが,今日のギリシア金石学の基礎が据えられたのは,19世紀の前半,ドイツの古典文献学者A.ベックの指導のもとに組織的なテキストの収集・校訂・刊行が企てられたことによる。その後,考古学の発展につれてギリシア金石文は加速度的にその数を増し,テキストの校訂も精緻の度を加えている。…

【文献学】より

…一般的に文献をあつかう学問をいい,書誌学とテキスト・クリティックを主とするもの,あるいは,中国でいう〈目録学〉の同意語として使用されることもあるが,厳密には,ドイツの古典学者A.ベックの《文献学の総覧と方法論》(1877)にいう〈人間精神によって生産されたもの,すなわち認識されたものを認識すること〉とすべきである。ドイツ語のPhilologieは,ギリシア語philologia(学問好き)から出るが,それがしだいにことばの学問(博言学)に限定され,英語のphilologyはその意味で使用される。…

※「ベック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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