ベニン王国(読み)ベニンおうこく

改訂新版 世界大百科事典 「ベニン王国」の意味・わかりやすい解説

ベニン王国 (ベニンおうこく)

西アフリカ,現在のナイジェリアの西部州にあるベニン・シティに13~18世紀ころに存在した王国ベニン・シティより西にいくつかの国家をもっていたヨルバ族の一部が,13世紀ころにはこの王国の原型をつくっており,15世紀までにはこの都市を中心にニジェール川西方に広がるデルタ地帯にかなり大きな国家をつくっていた。したがってベニン王国はヨルバ文化の影響下にある。

 ヨーロッパとの接触以前に強大な王国をつくったのは,15世紀半ばから後半に在位したウアレ王で,ニジェール川西岸領土を拡大する一方,首都ベニンを整備するとともに要塞化して強固にした。よく知られた青銅像などの芸術品もこのころつくられている。また次のオゾルア王の時代には,ポルトガル人が初めて首都を訪れ(1485前後),これ以後,ヨーロッパ人と直接交易を行うようになり,経済的繁栄の基礎をつくった。この交易は奴隷コショウ象牙などと銃火器との交換であった。16世紀に入るとベニン王国はこの銃火器で北方の森林地帯へも奴隷狩りを拡大した。そしてエギシュ王(在位は16世紀前半)は使節を送るなどしてポルトガルとの関係を緊密にし,援助も得て,この地方で一層強大な力を誇示した。こうして16世紀から17世紀にかけて,熱帯アフリカのなかでも最も繁栄した国の一つになった。17世紀半ばころまでのヨーロッパ人来訪者は首都ベニンの規模の大きさ,幅の広い道路,そこに整然と並ぶ家屋,広大で豪華な王宮などについて,讃辞を伴う記述を行っている。しかし17世紀半ばころから圧政に対する内乱が頻発するようになり,時を同じくしてヨルバ諸国のなかのオヨ王国が強大な力をもたげて迫り,さらにより西方で強大となったダホメー王国の方が奴隷を安く供給するようになったこともあって,ベニン王国は衰え始め,18世紀末までにはその領土も力も失った。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベニン王国」の意味・わかりやすい解説

ベニン王国
べにんおうこく

西アフリカ、ナイジェリア南部の熱帯雨林地帯に、14世紀ごろに建設され15~17世紀に繁栄した王国。ニジェール川デルタから西端はダオメー(現ベナン)に至る広大な領土を有した。首都ベニン・シティはポルトガル人商人や宣教師の活動の場所となり、胡椒(こしょう)、象牙(ぞうげ)、奴隷などが取引された。来訪したヨーロッパ人が当時のベニン・シティの規模の大きさ、大通り、整然とした家並み、また広壮な王宮についての報告を残している。芸術性が高く世界的に有名なベニンの青銅細工(人像、飾り板)は13世紀に始まるといわれ、ベニン博物館には王国初期のものも残されている。19世紀ごろから王国は衰退し、1897年には宣教師団が殺害されたことに反発したイギリスの攻撃を受け、王は追放されイギリス領に組み入れられた。

[中村弘光]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ベニン王国」の意味・わかりやすい解説

ベニン王国【ベニンおうこく】

現在のナイジェリア南部,ニジェール川の西岸に13世紀から19世紀まで存在したエド族の王国。文化的には近隣のヨルバ族の影響を受け,なかでも青銅彫刻は名高い。15世紀からはヨーロッパ人が来航,象牙や奴隷の交易で大いに繁栄した。特に首都ベニン・シティの壮大で整然としたさまはヨーロッパ人も目をみはったという。17世紀後半以降オヨ王国の勢力伸長にともない徐々に衰退,最後は1897年英国軍の攻撃で滅んだ。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ベニン王国」の解説

ベニン王国(ベニンおうこく)
Benin

西アフリカ,現ナイジェリア西部を中心に13世紀から18世紀にかけて繁栄した王国。大規模な宮廷組織で知られるヨルバ文化の影響を強く受けている。15世紀のエウアレ王の時代に勢力を伸張,城壁で囲まれた都市が形成され,ヨーロッパ人との間で奴隷,象牙,胡椒(こしょう)と銃・弾薬を交易し,広い範囲で勢力を示した。象牙彫刻や青銅の像は洗練された芸術作品としてよく知られる。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ベニン王国」の解説

ベニン王国
ベニンおうこく
Benin

西アフリカ・ナイジェリア南部の熱帯雨林地域に13世紀ごろ建てられた王国
首都のベニン−シティにはポルトガル商人や宣教師が訪れ,胡椒・象牙・奴隷などとヨーロッパの銃火器との取り引きが盛んとなった。また,青銅や象牙細工,木彫りなどは芸術性が高く,世界的に有名である。15〜17世紀に繁栄したが,18世紀ごろより衰退し,1897年宣教師団の殺害を機にイギリス領となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のベニン王国の言及

【アフリカ】より

…中部アフリカのナイジェリアでは,前500‐後200年にノク文化が栄え,抽象的造形に特色のあるテラコッタ製の人物像が生み出された。後世同地域に栄えたイフェ王国ベニン王国では,造形的・技術的にすぐれた青銅およびシンチュウの彫刻(人物・人頭,動物など)が製作されている。そして11~18世紀には,モノモタパないしマンボMamboという称号をもつ王が支配する王国(モノモタパ王国)が,ジンバブウェをはじめ南部アフリカ各地に巨大な石造建築群をのこした。…

【象牙】より

…アフリカが供給してきた象牙はほとんどすべて未加工の素材であったが,アフリカにすぐれた象牙製品が存在しないわけではない。たとえば15世紀に興隆をきわめたギニア湾岸のベニン王国では,宮廷に専門の象牙職人を擁し,腕輪や仮面,2m前後の巨大な象牙をそのまま用いて全面に精緻な彫刻をほどこした祭祀用具などは,いずれも高度な技術と美的完成度において,世界的レベルに達している。象牙彫【渡部 重行】。…

【部族美術】より

…その様式は非常に写実的で,骨,筋肉,皮膚の詳細を的確に表現し,とくに青銅彫刻の鋳造技術は抜群である(イフェ王国)。イフェ王国の青銅彫刻の伝統はビニ族のベニン王国(14~19世紀)に受けつがれた。ベニン王国の美術には丸彫の種々の人物像,動物像,祭儀用具や人物,動物,植物を組み合わせた浮彫板などがある。…

※「ベニン王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android