ベネト(読み)べねと(英語表記)Veneto

翻訳|Veneto

改訂新版 世界大百科事典 「ベネト」の意味・わかりやすい解説

ベネト[州]
Veneto

イタリア北部の州。旧名ベネチア・エウガネアVenezia Euganea。面積1万8392km2,人口470万(2004)。州都はベネチア。肥沃ポー平原で農業が営まれ,小麦,トウモロコシ,テンサイ,ブドウが栽培されている。ベローナパドバやベネチアの対岸マルゲーラではガラス,重化学工業が盛んである。ベネトの歴史は複雑で,時代により領域の規模が極端に変わり,言語・文化史的観点から現在の州境界線は,ただ単に行政的に画された線,と解するのが妥当である。

 先住民ウェネティVenetiがローマ人と初めて接したのは,前3世紀であった。ローマ帝国時代にはウェネティアVenetiaと呼ばれ,現在の州の区域とほぼ同じ地域を占めていた。ランゴバルド族の侵住以後,ベネト地方は単一性を失う。ランゴバルド族の建国から15世紀まで,ベネト地方のベローナ,ベネチア,アクイレイアは独自の歴史を歩んだ。14世紀に始まるベネチア共和国の領土拡張主義は1405年,ベローナを征服し,今日のロンバルディア州の東部をも領有するにいたった。ベネト地方は1797年のナポレオンによるベネチア共和国制圧までの約4世紀の間,ベネチア共和国の一地方として繁栄した。ナポレオンの失脚後はオーストリアが支配し,ロンバルド・ベネト王国となったが,1866年イタリア王国に統一された。第1次大戦後,フリウリ地方がベネトに併合されたが,第2次大戦後,再び切り離され,ベネト州は大戦前の半分の面積に戻った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベネト」の意味・わかりやすい解説

ベネト
べねと
Veneto

イタリア北東部の州。面積1万8368平方キロメートル、人口449万0586(2001国勢調査速報値)。ベネチア、パドバ、ベローナ、ビチェンツァ、トレビーゾ、ロビーゴ、ベッルーノの7県からなり、州都はベネチア。カーニック・アルプス山脈(北端)、タリアメント川東端)、ポー川(南端)、ガルダ湖(西端)に囲まれる。山地がほぼ全域を占める北部のベッルーノ県を除けば、ベネト平野が圧倒的部分を占める。1919年以降、化学工業を主軸として発達したポルト・マルゲーラの工業地帯を筆頭に、トレビーゾ県の家庭電化製品の生産、ビチェンツァやスキオにおける毛織物工業、ロビーゴ県の製糖業などの工業活動があげられる。他方、農業も盛んで、とくにトウモロコシ、エンドウ、リンゴ、ニンジン、ブドウなどは全国生産のなかで高い比重を占める。ベネチアやベローナなどの観光都市のほか、ドロミーティ山地、ベネチアのラグーナ(潟湖(せきこ))、ポー川のデルタ、ガルダ湖といった自然が生み出した多様な景勝がみられる。

[堺 憲一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベネト」の意味・わかりやすい解説

ベネト
Veneto, Bartolomeo

イタリアの画家。ベネチア派の肖像画家で,鮮かな色彩と詩的な哀愁をもつ画風は当時の人々を魅了した。生涯は明らかではないが,1505~08年にはフェララに滞在,その他ベネチア,ミラノで活躍したと考えられる。『リュートを弾く人』 (1512,ボストン,ガードナー美術館) ,『遊女』 (フランクフルトアムマイン美術館) など。

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