ベハイム(読み)べはいむ(英語表記)Martin Behaim

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベハイム」の意味・わかりやすい解説

ベハイム
べはいむ
Martin Behaim
(1459ころ―1506/1507)

ドイツの航海者地理学者商人。毛織物商の子としてニュルンベルクに生まれる。商業習得のためフランドルへ赴き、そこで天文学の知識を得た。この間リスボンを何度も訪れて航海用器具を製作し、ポルトガルジョアン2世に認められて新航路発見の国政会議に加えられ、1484、1485年カウンDiogo Cão生没年不詳)の第二次アフリカ西海岸探検に参加した。南緯15度付近のカボ・ネグロ、カボ・レドに達して帰航、キリスト勲章を授与された。1486年ハンナと結婚してアゾレス諸島に居住。1491~1493年ニュルンベルクに帰った際に、現存する最古地球儀をつくった。この地球儀の地図は不精確であるが、大航海時代の地図や海図の作成に重要な刺激を与えた。その後リスボンに戻り、同地で死去した。

[諸田 實]

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改訂新版 世界大百科事典 「ベハイム」の意味・わかりやすい解説

ベハイム
Martin Behaim
生没年:1459-1507

ドイツの地理・地図学者。ニュルンベルクの裕福な世襲貴族の家に生まれた。若い頃すでに商業上の用務アントワープに旅し,1484年にはリスボンを訪れた。その優れた学識を認められ,ポルトガル国王ジョアン2世の下で航海委員会の委員を務め,アストロラーブ(天測儀)を改良し,またアフリカ西海岸沿いにギニアまで南下する航海にも参加した。86年アゾレス諸島の地主の娘と結婚し,同島に移住,90年故郷のニュルンベルクに戻った。市議会の委嘱を受け,92年大工グロッケントンB.Glockenthonの協力を得て,直径約50cmの地球儀を製作した。これが現存する世界最古の地球儀である。地図学の歴史にとって興味ある事実は,世界の姿がほとんどプトレマイオスの地図に基づいていて,彼がリスボンで容易に入手することができたはずのポルトガルの航海実績が顧慮されていないことである。この地球儀はニュルンベルクの博物館に収蔵,展示されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベハイム」の意味・わかりやすい解説

ベハイム
Behaim, Martin

[生]1459.10.6. ドイツ,ニュルンベルク
[没]1507.7.29. ポルトガル,リスボン
ドイツの航海者,地理学者。ニュルンベルクの商家に生まれ,1476~84年アムステルダムを本拠にヨーロッパ各地を遍歴。ポルトガル王に仕え,同郷人レギオモンタヌスの『天体暦』や新発明の観測器などを伝えてポルトガル船舶の遠洋航海に大きく貢献,みずからも1485~86年西アフリカ沿岸の探検航海に加わった。アゾレス諸島ファイアル島の首長の娘と結婚。クリストファー・コロンブスとも情報を交換。1490年ニュルンベルクに帰り,世界地図や,現存する世界最古の地球儀を製作。晩年は政争のためポルトガル宮廷から追われ,貧困のうちに没した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ベハイム」の解説

ベハイム
Martin Behaim

1459ごろ〜1507
ドイツの航海者・地理学者
オランダ・リスボンに赴いて航海器具の改良に尽力し,ポルトガル王ジョアン2世に認められて,1485〜86年には西アフリカ沿岸を探検。彼のつくった地球儀は現存する世界最古のもの。

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