ベレニケ(英語表記)Berenice

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベレニケ」の意味・わかりやすい解説

ベレニケ
Berenice

[生]28頃
[没]79以後
ユダヤのヘロデ朝の皇女。ベルニケとも呼ばれる。ヘロデス・アグリッパス1世の娘として生まれ,48年に2番目の夫で叔父のカルキス王ヘロデスが死んだのち,兄である南シリア王ヘロデス・アグリッパス2世とともに暮し,近親相姦の風評が高かった。新約聖書 (使徒行伝 15・13以下) によれば,使徒パウロのカエサリアにおける裁判にも同席している。ユダヤ人の反ローマの反乱には反対した。のちのローマ皇帝チツスは彼女と恋に落ち,75年彼女のローマ訪問の際には数年間同棲した。

ベレニケ
Berenice

ユダヤのヘロデ朝の皇女。ベルニケとも呼ばれる。前1世紀後半頃在世したヘロデ大王の妹サロメの子。前 17年に従弟のアリストブロスと結婚ヘロデス・アグリッパス1世とヘロディアスら4人の子を生んだ。

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世界大百科事典(旧版)内のベレニケの言及

【アンティオコス[2世]】より

…マケドニアのアンティゴノス2世と結んでエジプトのプトレマイオス2世と戦い(第2次シリア戦争,前260‐前253),父王が失った小アジアの沿岸地方と南シリア(コイレ・シリア)の一部を回復した。前253年妃ラオディケを離別して,翌年プトレマイオス2世の娘ベレニケBerenikēと政略結婚し,しかもみずからの死にさきだち先妃の子セレウコス2世を後継者に指名したため,死後に王位継承をめぐる紛糾を生じ,ベレニケとその子を支援するプトレマイオス3世の侵入(第3次シリア戦争,前246‐前241)をまねくことになった。【大戸 千之】。…

【かみのけ座(髪座)】より

…しし座とうしかい座との間にある小星座。エジプト王妃ベレニケがアッシリアと戦う夫の勝利を祈るために神前にささげた切髪であるという。従来はおとめ座に属していたが,1602年T.ブラーエにより独立の星座としてとり上げられた。…

【ラオディケ】より

…前253年離別された。アンティオコス2世はエジプトのプトレマイオス2世の娘ベレニケと政略結婚したが,死の直前ラオディケの子セレウコス2世を後継として指名した。王の没後ベレニケを支援しようとするプトレマイオス3世は第3次シリア戦争(前246‐前241。…

※「ベレニケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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