ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベーカー」の意味・わかりやすい解説
ベーカー
Baker, Alan
[没]2018.2.4. ケンブリッジ
イギリスの数学者。1961年ロンドン大学卒業後,1964年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで博士号を取得。ユニバーシティ・カレッジを経て,1966年にトリニティ・カレッジ教授。1970年にフランスのニースで開催された国際数学者会議で,整数論に関する業績によりフィールズ賞を受賞した。ベーカーの業績により,多くの不定方程式で,その解をすべて求めることが理論的に可能になった。ディオファントスの方程式については,ノルウェーのアクセル・トゥエ,ドイツのカール・ルートウィヒ・ジーゲル,イギリスのクラウス・フリードリヒ・ロスなどによる先駆的な研究があったが,ベーカーは 2変数のディオファントス方程式について,解の絶対値を押さえるような方程式の次数と係数のみによる有効な値が存在することを示した。この研究はベーカーによるゲルフォント=シュナイダーの定理(ダビット・ヒルベルトの第7問題)の一般化に関連している。ゲルフォント=シュナイダーの定理は,二つの代数的数α,βについて,ある条件のもとでαβが超越数であることを示すもので,ベーカーはこれを任意の個数の組の場合に一般化することに成功した。
ベーカー
Baker, James
アメリカ合衆国の政治家,弁護士。フルネーム James Addison Baker III。1989~92年,ブッシュ政権下の国務長官を務める。プリンストン大学,テキサス州立大学ロースクール卒業。弁護士を経てブッシュとの親交を通じて政・官界入り。1981~85年レーガン政権 1期目の大統領首席補佐官,その後財務長官に転じ(1985~88),1988年の大統領選挙では選挙対策本部委員長としてブッシュ当選に貢献,国務長官に起用された。1990年東西ドイツ統一の際には,ソビエト連邦の合意を得られるよう助力し,同 1990年のイラクによるクウェート侵攻に端を発する湾岸戦争では,多国籍軍の形成に尽力した。1992年国務長官を辞任,1993年まで大統領首席補佐官を務めた。かつての国務長官ジョン・フォスター・ダレスとともに,最も世界を飛び回った国務長官といわれ,特に中東和平問題に精力を傾けた。退任後は国連事務総長特使として西サハラ紛争の調停にあたったほか,2000年代半ばにはいくつかの政府の調査委員会で活動した。1991年大統領自由勲章を受章。
ベーカー
Baker, Josephine
[没]1975.4.12. パリ
アメリカ生れのフランスの歌手,舞踊家。スペイン人と黒人の両親のもとに生れる。8歳頃から踊りを始め,フィラデルフィアのレビュー・グループに参加したのち,1923年ニューヨークのミュージック・ホールで黒人ミュージカルの主役ダンサーとして好評を得た。 25年パリに渡り,シャンゼリゼ劇場に出演,チャールストンを踊ってセンセーションを巻起した。 30年からカジノ・ド・パリの専属となり,「琥珀色の女王」と呼ばれ,映画にも出演。 37年フランス市民権を得て第2次世界大戦には赤十字に参加,その後フランス自由軍の中尉としてアフリカ,中近東の戦線で兵士の慰問をした。 50年から世界中の多くの孤児を養子にして,レ・ミランドと呼ぶ理想郷をフランス南西部に創設。 56年に舞台を引退したが,レ・ミランド維持のため,59年パリのオランピア劇場でカムバックし,成功した。
ベーカー
Baker, Ray Stannard
[没]1946.7.12. マサチューセッツ,アマースト
アメリカのジャーナリスト。筆名 David Grayson。ミシガン大学を卒業後,1892年『シカゴ・レコード』紙の記者となり,その後『マクリュアーズ・マガジン』に関係,醜聞暴露の「マックレーカーズ」のグループに属して,1906年『アメリカン・マガジン』を創刊,編集長となった。 1907年より筆名でエッセーを出版。 1919年ウィルソン大統領からパリ講和会議の報道部長に任命され,国際連盟のために健筆をふるった。その後ウィルソンとその時代に関する権威として,『ウィルソン伝』 (8巻,1927~39) を著わし,ピュリッツァー賞を受賞。ほかに自伝的著作『アメリカ年代記』 American Chronicle (1945) など。
ベーカー
Baker, Sir Samuel White
[没]1893.12.30. デボン,サンドフォードオルレイ
イギリスの探検家。 1843~45年モーリシャス島に滞在,46~55年セイロン (現スリランカ) で農業に従事し,農園を開設。 56~60年近東旅行。 61年アフリカに行き,スーダンとアビシニア (現エチオピア) の国境の地域でナイル川の支流を探検。ホワイトナイル川をさかのぼり,64年3月アルバート湖を見出した。 65年帰国。翌年ナイト爵の称号を与えられる。 69年ナイル川赤道地域へ総督として軍事遠征を指揮,73年帰国。主著"Rifle and Hound in Ceylon" (1853) ,"Eight Years' Wanderings in Ceylon" (55) 。
ベーカー
Backer, Chet
[没]1988.5.13. アムステルダム
アメリカのジャズ・トランペッター,歌手。 1950~52年の兵役中,軍楽隊で演奏し,除隊後は駐屯地であったサンフランシスコで J.マリガンのカルテットに参加,ウェストコースト・ジャズのトランペッターとして,また独特の中性的な歌声によって一躍知られるようになった。 53年自己のカルテットを結成し,人気スターとなる。 55年以降,ヨーロッパでも活躍。たび重なる麻薬常用問題などもあって 1960年代はほとんど活動を行わなかったが,73年に復帰,名声を取戻した。
ベーカー
Baker, George Pierce
[没]1935.1.6. ニューヘーブン
アメリカの演劇学者。ハーバード大学卒業後,同校にアメリカで最初の実践的な演劇講座を開設,劇作法を教えるとともに学生たちの作品を上演,E.オニール,S.C.ハワード,G.アボット,R.E.ジョーンズらのすぐれた劇作家,演出家,舞台美術家を世に送り出した。主著『劇作術』 Dramatic Technique (1919) など。
ベーカー
Baker, Harvey Humphrey
[没]1915.4.10. ブルックリン
アメリカの法律家。 1894年ハーバード大学法学部修士。法律家となり,1906年ボストン少年裁判所設立とともに最初の判事として就任,以来同裁判所をアメリカの指導的少年裁判所に育てた。 17年4月設立された少年相談所ベーカー判事財団は彼の名前を取ったもの。
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