ベールシェバ(英語表記)Be'er Sheva'

デジタル大辞泉 「ベールシェバ」の意味・読み・例文・類語

ベールシェバ(Beersheba)

イスラエル南部の都市。ネゲブ砂漠北部に位置する。旧約聖書に登場する古都であり、アブラハムイサクヤコブが3代にわたって居住したとされる。オスマン帝国時代に交易の拠点となった。建国以来、アラブ諸国や旧ソ連からの多くのユダヤ人が移住し、同国南部の行政産業の中心地に発展した。市街東部の古代遺跡テルベールシェバは2005年に「聖書時代の遺丘群、メギッドハツォールベールシェバ」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。ベエルシェバ

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改訂新版 世界大百科事典 「ベールシェバ」の意味・わかりやすい解説

ベール・シェバ
Beer-Sheba

イスラエル南部,ネゲブ地方の中心都市。エルサレムの南西72kmに位置し,人口18万4500(2004)。伝承によれば,アブラハムと近くのゲラルの王アビメレクの家来たちが,井戸(ベール)の使用をめぐって誓約(シュブア)を交わしたことからこの名で呼ばれたという(《創世記》21:31)。砂漠オアシスの町として古くから栄え,イスラエル建国前はネゲブ遊牧民ベドウィン)の交易市場であり,郊外の〈アブラハムの井戸〉では週1回市場が開かれて,羊,ラクダ,衣服その他の品物を持って集まった遊牧民でにぎわった。

 1948-49年の第1次中東戦争の結果イスラエル国家が建設されると,アラブ住民のほとんどが追われ,その後ユダヤ人都市として急速な近代化と発展を遂げた。現在ではネゲブ地方の行政,商業,工業,交通の中心地で,砂漠の緑化研究で有名なベール・シェバ大学も総合大学となっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベールシェバ」の意味・わかりやすい解説

ベールシェバ
Be'er Sheva'

イスラエル中南部,ネゲブ砂漠の北部,テルアビブヤフォから約 90km離れた内陸盆地にある行政上の中心都市。気候はきわめて乾燥している。旧約聖書に登場する古いオアシスが起源で,ユダヤ人の父アブラハムが,この地でペリシテ人の王ゲラルのアビメレクと契約を結んだとあり,ベールは泉,シェバは誓約または7を意味している。ビザンチン帝国時代,オスマン帝国時代に,ともに砂漠の遊牧民に対する城塞であった。 1900年,ドイツ人技師によって都市計画が施行され,イギリス保護地区になってからは,1925年エルサレムへの,1936年ガザへの舗装道路が開通し,パレスチナ南部の中心都市となった。 1948年イスラエル建国後はネゲブ地方の行政,文化,産業の中心。ネゲブ砂漠と結びついた化学,窯業,建材,セメント,織物などの工業が発展しつつある。ネゲブ大学,ネゲブ乾燥地帯研究所がある。 2005年聖書のテル群として,メギドハゾルとともに世界遺産の文化遺産に登録。人口 11万 3800 (1990推計) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベールシェバ」の意味・わかりやすい解説

ベールシェバ
べーるしぇば
Beersheba

イスラエル南部、ネゲブ砂漠北部の都市。人口17万7900(2001)、20万8277(2018推計)。ディモナと並ぶネゲブ地方の重要都市で、行政、産業、交通の中心地。聖書にも登場する古くからのオアシスで、オスマン帝国支配下において交易の中心地として発展した。1948年のイスラエルの成立時にアラブ住民が追放され、以来ユダヤ人都市として急激に成長した。砂漠の利用開発の研究では世界的水準にあるベールシェバ大学がある。

[高橋和夫]

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