ペプシコ(読み)ぺぷしこ(英語表記)PepsiCo Inc.

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペプシコ」の意味・わかりやすい解説

ペプシコ
ぺぷしこ
PepsiCo Inc.

コカ・コーラに次ぐ世界有数のアメリカの清涼飲料メーカー。主力製品は清涼飲料のペプシ・コーラ。スナック食品メーカーとしても世界的規模を誇る。ノース・カロライナの薬剤師キャレブ・ブラッドハムCaleb Bradham(1867―1934)が調合した消化不良の治療薬がペプシ・コーラのルーツである。コーラ・ナッツコーラノキ種子)、バニラビーンズを主原料としたが、後に消化酵素のペプシンから「ペプシ・コーラ」と名づけられた。1902年にペプシ・コーラ社Pepsi Cola Co.が設立され、コーラ飲料の本格的な販売を始めた。第一次世界大戦後、砂糖の価格急騰などの影響による生産コストの上昇から、ブラッドハムは商標を売却して経営を断念した。その後、オーナーがたびたびかわり破産寸前にまで経営が悪化した時期もあったが、1940年代にはすでにコカ・コーラに次ぐ第2位の清涼飲料メーカーにまで成長し、1948年に本社をニューヨークに移転した。1950年代初め、コカ・コーラ社の元重役アルフレッド・スティールが社長に就任。彼はボトル・デザインを改良して、妻で女優のジョーン・クロフォードを宣伝キャラクターに採用するなど、精力的な宣伝活動を展開した。1965年、スナック食品メーカーのフリトレーFrito-Lay, Inc.を傘下に加えて、現在のペプシコを設立。1977年にファストフードのピザハットPizza Hut、1978年にはメキシカン・タコスのチェーン店タコベルTaco Bellを傘下に加えた。1986年、フィリップモリスから清涼飲料セブンアップの海外販売部門を買収したほか、同年RJRナビスコからケンタッキーフライドチキンKFC Corp.を8億5000万ドルで買収して、ペプシコは当時世界最大級のフード・レストラン事業者となったが、1997年にはレストラン部門をすべて売却した。フルーツジュース飲料会社のトロピカーナTropicana Products, Inc.を1998年に取得以後は、飲料事業のペプシ・コーラ社、スナック食品事業のフリトレー社、フルーツジュース事業のトロピカーナ社の3社を柱に世界的な事業展開を行う。1999年の売上高203億6700万ドルのうち、スナック食品事業が売上げの6割を占めた。

 日本では、1956年(昭和31)に一般販売が許可された後、1958年に日本ペプシコーラが設立された。1997年(平成9)にサントリーと提携契約を結び、翌1998年1月にサントリーがペプシ・コーラのマスターフランチャイズ権を取得、日本国内でのマーケティングおよび製造・販売を行っている。

[萩原伸次郎]

その後の動き

2003年にユニリーバと折半出資で、紅茶飲料などを手がける合弁会社ペプシ・リプトン・インターナショナルPepsi Lipton Internationalを設立。ペプシコの2022年の売上高は863億9200万ドル、純利益89億1000万ドル。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペプシコ」の意味・わかりやすい解説

ペプシコ
PepsiCo, Inc.

アメリカ合衆国の清涼飲料・スナック食品メーカー。1898年ノースカロライナの薬剤師キャレブ・D.ブラッドハムが消化不良の治療薬として「ペプシコーラ」を開発,1902年ペプシコーラ・カンパニーを設立した。第1次世界大戦後創立者の手を離れ,1965年スナック食品メーカーのフリトレーと合併して現社名に変更。1977年ピザハット,1978年タコベル,1986年ケンタッキー・フライド・チキンなどレストランチェーンを相次いで買収したが,1997年これらの外食部門をトライコングローバルレストランとして分離独立。1998年トロピカーナ・プロダクツを買収,2001年クエーカー・オーツと合併し,食品・飲料事業の拡充をはかった。

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