ペレス・エスキベル(読み)ぺれすえすきべる(英語表記)Adolfo Pérez Esquivel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペレス・エスキベル」の意味・わかりやすい解説

ペレス・エスキベル
ぺれすえすきべる
Adolfo Pérez Esquivel
(1931― )

アルゼンチンの人権活動家で建築家、彫刻家。ブエノス・アイレス近郊に生まれる。アルゼンチン国立美術学校に学び、卒業後マヌエル・ベルグラーノ美術学校などの彫刻・建築科の教授を務める。1970年代初頭以降のゲリラと軍の対決・内乱状態から生じた人権侵害を憂えて、非暴力の人権運動に専念するため教職を辞し、1973年に「ラテンアメリカ平和と正義奉仕協会」を結成軍事政権(1976~1983)の人権抑圧政策に対して、カトリック平和主義の立場から人権擁護活動を行い、1977~1978年には14か月間投獄された。1980年にノーベル平和賞を受賞。1982年にアッシジ(聖フランチェスコゆかりのイタリアの町)の名誉市民となる。国連平和大学の学長を務めるなど国際的にも活動している。

[乗 浩子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペレス・エスキベル」の意味・わかりやすい解説

ペレス・エスキベル
Pérez Esquivel, Adolfo

[生]1931.11.26. アルゼンチン,ブエノスアイレス
アルゼンチンの彫刻家・建築家・平和運動家。漁民の子として生れ,1956年国立美術学校を卒業。彫刻家・建築家として活躍するとともに,68年国立美術学校の教授に就任。 71年に職人の協同組合結成のための団体に参加。テロリストと軍事政府が暴力を行使し合う内乱状態のなかで軍縮,核不拡散および社会改革を目指す運動を始めた。 74年コロンビアで「平和と正義のしもべ団」の事務局長に就任。非暴力による紛争解決を唱え,軍事政権下で2万人に上った行方不明者の追跡や,スラム追放に尽力するなど,過酷な弾圧によって権利を奪われた政治的無産階級者を擁護した。 77年には 14ヵ月間投獄され,拷問にさらされた。 80年ノーベル平和賞を受賞。

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