ホーヘンドルプ(英語表記)Gijsbert Karel van Hogendorp

改訂新版 世界大百科事典 「ホーヘンドルプ」の意味・わかりやすい解説

ホーヘンドルプ
Gijsbert Karel van Hogendorp
生没年:1762-1834

オランダの政治家。ロッテルダム生れ。1773年プロイセン王家出身の総督ウィレム5世夫人ウィルヘルミナの尽力ベルリン陸軍幼年学校入学,のちフリードリヒ大王の王弟に仕え,81年帰国して近衛師団将校となる。83年のアメリカ旅行後,ライデン大学法学を学び,86年学位を得た。このころ総督派と〈愛国党〉の対立が激化し,ホーヘンドルプは総督派に属したため,95年オランダ共和国が崩壊すると政治運動から退き,祖国解放後の国家財政や立憲君主制の実現について研究した。ナポレオン没落後,ロンドン亡命中のウィレム6世(のちの国王ウィレム1世)と連絡をとりオランダの解放を指導し,1815年ネーデルラント王国成立とともに枢密院副議長に任ぜられた。しかし,専制的な国王ウィレム1世と立憲制を志向するホーヘンドルプの対立が深まり枢密院副議長を辞し,下院議員となって政府の経済・財政政策を激しく攻撃した。25年下院議員を退いたが,30年ベルギーの独立革命に理解を示し,また責任内閣制などの立憲制を主張してトルベッケの先駆者となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホーヘンドルプ」の意味・わかりやすい解説

ホーヘンドルプ
Hogendorp, Gijsbert Karel van

[生]1771.10.27. ロッテルダム
[没]1834.8.5.
オランダの政治家。貴族の子として生れ,10歳でベルリンの陸軍幼年学校に学び,プロシア王子の側近として仕えたのち,オランダに帰って総督ウィレム5世の近衛士官となった。オランニェ党の指導者として頭角を現したが,1795年の革命で総督がイギリスへ亡命すると,官職を辞してアムステルダムで商業活動に従事した。オランダがフランスに合併されると,オランニェ家によるオランダの解放と統一国家の建設を説き,憲法草案を作成した。 1814年オランダは彼の起草した憲法を採択し,15年ベルギーを加えて成立したオランダ (ネーデルラント) 王国は彼の指導で改正された新憲法草案を採択した。彼は新政府の指導者になったが,やがて経済政策や税制をめぐって国王ウィレム1世と対立した。多くの著作および書簡集を残している。

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