ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(読み)ボスニア・ヘルツェゴビナふんそう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
ボスニア・ヘルツェゴビナふんそう

1992年3月のボスニア・ヘルツェゴビナの独立を機に勃発した,国内に居住するムスリム (スラブ人のイスラム教徒) ,セルビア人クロアチア人の3民族による武力衝突。独立に賛成するムスリム,クロアチア人勢力と,反対するセルビア人勢力とが衝突したが,しだいにムスリムとクロアチア人勢力の対立も生じ,三つ巴内戦となった。セルビア人勢力はボスニア・セルビア人共和国を,クロアチア人勢力はヘルツェグ・ボスナ・クロアチア人共和国をそれぞれ樹立し,3勢力が「民族浄化」の名のもとで他民族の追放虐殺を行なうなど凄惨な戦いが続いた。ヨーロッパ共同体 EC (1993年 11月以降ヨーロッパ連合 EU) と国際連合が仲介にあたり,国連保護軍 UNPROFORが派遣され,3勢力に対し4度にわたって和平案を提示したが,3勢力すべての同意を得ることはできなかった。政治的解決は困難をきわめ,1995年8月末,セルビア人勢力に対する北大西洋条約機構 NATO軍空爆が実施され,セルビア人勢力は大きな打撃を被った。死者 20万人,難民 250万人を出した末,1995年 11月アメリカ合衆国の主導で紛争3当事国の代表がアメリカのデートンの空軍基地に集まり,デートン和平合意が成立した。これにより,国連と多国籍軍の監視のもとで,ムスリムとクロアチア人の「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」 (領土の 51%を管轄) とセルビア人の「セルビア人共和国」 (領土の 49%を管轄) の2政体からなる一つの主権国家を目指すことになった。最高意思決定機関は定数3の幹部会 (大統領会議) で,連邦から2人,共和国から1人が選出される。幹部会議長 (国家元首) には,3人が8ヵ月交替で就任する。ボスニア・ヘルツェゴビナの和平プロセスは,民生面で和平実施を統括する機関として和平実施会議 PICと,軍事面での和平安定化部隊 SFOR (1996年 12月から派遣,それ以前は和平実施部隊 IFORが展開) を中心として進められた。デートン和平合意に基づき,二つの政体にまたがる中央議会も設置された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
ぼすにあへるつぇごびなふんそう

ユーゴ紛争

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