ボロンツォフ(英語表記)Vasilii Pavlovich Vorontsov

改訂新版 世界大百科事典 「ボロンツォフ」の意味・わかりやすい解説

ボロンツォフ
Vasilii Pavlovich Vorontsov
生没年:1847-1918

ロシアの思想家。筆名V.V.(ベーベー)。外科医で各地のゼムストボ地方自治会)に勤務,農民経済の実態を調査して,《ロシアにおける資本主義の運命》(1882)を刊行した。この書物は合法的ナロードニキのロシア資本主義没落論の代表作である。当時の外国市場は優勢な欧米資本主義によって占められていて,ロシア資本主義の進出余地がなく,一方,国内市場をみると,資本主義が農民経済を荒廃させるために農民の購買力は貧弱である。またロシアの工業は外国からの高度の技術輸入によって成り立っているため,有機的構成が高く,雇用労働者は比較的少なく,労働者の商品購買力も小さい。ロシア資本主義はこのように狭隘(きようあい)な市場のために発展の可能性がないから,政府当局は無益な資本主義化政策をやめて,共同体とアルテリを中心とする道を選ぶべきだというのが,その論旨であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボロンツォフ」の意味・わかりやすい解説

ボロンツォフ
Vorontsov, Vasilii Pavlovich

[生]1847
[没]1918.12.
ロシアの経済学者。ペンネームの V.V.で知られる。 1870年代にナロードニキの秘密結社チャイコフスキー団」に近づき,80年代初めから合法誌に人民主義立場から多くの経済論文を発表した。ロシアにおいては,資本主義の発達は望ましいことでも,可能なことでもないと主張し,P.B.ストルーベ,G.V.プレハーノフ,レーニンらと論争を行なった。

ボロンツォフ
Vorontsov, Aleksandr Romanovich

[生]1741.9.15.
[没]1805.12.14.
ロシアの政治家外交官としてイギリスオランダ在勤。帰国後,エカテリーナ2世 (大帝)の外交顧問のかたわら,商相をつとめ,フランスとの通商交渉に努力したが,フランス革命が勃発して水泡に帰した。 1802~04年宰相。ナポレオン1世との断交を行い,フランスに対抗するためイギリスと結んだ。

ボロンツォフ
Vorontsov, Mikhail Semënovich

[生]1782.5.30.
[没]1856.11.18. オデッサ
ロシアの政治家,軍人,元帥。 1806~14年にかけてナポレオン軍との戦いに活躍。 23~44年ノボロシアおよびベッサラビアの総督として,この地方の農業問題の改善に努めた。 44~54年コーカサス (カフカス) 地方総督。穏健な自由主義的官僚として,行政的手腕を発揮した。

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世界大百科事典(旧版)内のボロンツォフの言及

【ナロードニキ】より

… 以後,革命派は深刻な思想上・路線上の動揺を経験する。その中で,新しいロシア資本主義論がボロンツォフによって打ち出された。《ロシアにおける資本主義の運命》(1882)の中で,彼は,後進国ロシアは先進国との競争により輸出市場をもたず,他方,先進国から進んだ技術を一挙に導入するため,労働力需要を拡大できないので,資本主義発展は頭打ちとなり,共同体も破壊されないと主張した。…

※「ボロンツォフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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