知恵蔵 「ボーイング747」の解説
ボーイング747
ボーイング747の原型は、現行のロッキードC-5Aギャラクシーと採用を競った軍用輸送機。これをベースにして、民間型の航空機として再設計された。開発当時の1960年代は、次世代の主流を担うのはコンコルドなど超音速旅客機と考えられた。このため、後の貨物機転用も見込んで当時の物流の主流だったコンテナを2列に積めるようなワイドボディ設計となった。就航当時はその広さに搭乗客が「機内探検」するのが流行したという。多数の旅客を乗せるため、慣性航法装置など安全確保に当時の最新技術を投入。巨大なエンジンを4基搭載することで、もし3基のエンジンが停止しても、残る1基で飛行できるようにした。長距離型の航続距離は当時の小型機を大きく上回る1万~1万5千キロで、東京・北米間などの直行便の運航を可能にした。客室の下には大きな貨物室を設け、貨物輸送力も圧倒的であり、超音速機開発の頓挫により、ボーイング747は航空輸送の主役の座を長らく占め続けた。これまでに1500機以上を生産、多種の派生型があり最新型は現在も製造されている。ボーイング747は旅客輸送力を飛躍的に増大させ、航空運賃の大幅な団体割引やバルク運賃誕生のきっかけとなった。日本では64年の渡航自由化を背景として、この低廉な運賃が旅行会社の廉価なパック旅行などを支え、海外旅行大衆化の原動力ともなった。航空会社1社の発注数では日本航空が113機で世界最多であり、85年8月12日「御巣鷹の尾根」に墜落、犠牲者520人を出した日航123便もその一つ。この余波で売却された同型機の中にはNASAのスペースシャトル輸送機に改造されたものもあった。
近年になると燃料価格高騰、空港発着枠の増加や競争激化による便当たり旅客数の減少、機体老朽化と整備コスト上昇などが進み、運行効率が低い大型機の維持は航空会社の負担となった。また、国際民間航空機関(ICAO)の定める「双発機による長距離進出運航(ETOPS)」の規制緩和で、航空界の主流はボーイング787など新世代の中型機に代わりつつあった。こうして、日本航空のボーイング747は2011年3月1日をもって引退。最後まで残っていた全日空のボーイング747も、14年3月31日にはラストフライトを迎えた。那覇空港と羽田空港の折り返しには名残を惜しむ人らが集まった。以降、日本国内に残るのは自衛隊の政府専用機と日本貨物航空の貨物専用機だけとなる。
(金谷俊秀 ライター / 2014年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報