日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ボーデ(Johann Elert Bode)
ぼーで
Johann Elert Bode
(1747―1826)
ドイツの天文学者。ハンブルクに生まれる。少年のころより天文にあこがれ、日食の観測記録をつけ、21歳のときに書いた『星空の知識への入門』は好評を博し、以後100年間近くも印刷され、無数の同好者を育てた。1772年、ボーデはランベルトによりベルリン科学アカデミー付属ベルリン天文台の台員に採用された。1774年に出版された『天文年表(1776年用)』はボーデが計算した成果で、高い評価を得、その後彼が死去する年まで毎年編集公刊され続けた。このほかに、1万7000個の恒星を記載した星表は当代随一の精密さを誇り、とくに黄道星座が有名であった。惑星の平均距離を数列表現した「ティティウス‐ボーデの法則」は、ドイツの科学者ティティウスが発見したものであるが、これをボーデが学界に紹介し、広めたためにその名がある。前記の年表と星表はピアッツィの小惑星(準惑星)ケレスの発見(1801)の際にも、ガルレの未知惑星海王星の発見の際にも判別資料として役だった。
[島村福太郎]
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