ポグロム(英語表記)pogrom[ロシア]

精選版 日本国語大辞典 「ポグロム」の意味・読み・例文・類語

ポグロム

〘名〙 (pogrom) 集団的で計画的な迫害虐殺。特に一九世紀後半から二〇世紀初頭にかけて、ロシア中心に行なわれたユダヤ人に対する虐殺をいう。
沈黙の塔(1910)〈森鴎外〉「危険なる洋書を読むものを殺せ。かういふ趣意で、パアシイ族の間で、Pogrom(ポグロム)二の舞が演ぜられた」

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デジタル大辞泉 「ポグロム」の意味・読み・例文・類語

ポグロム(〈ロシア〉pogrom)

集団的で計画的な迫害・虐殺。特に19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ロシアを中心に行われたユダヤ人の虐殺をいう。

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改訂新版 世界大百科事典 「ポグロム」の意味・わかりやすい解説

ポグロム
pogrom[ロシア]

集団的な略奪,虐殺,破壊行為を意味する語。近代ロシア史上,アルメニア人タタール人のような民族,また学生が,この種の暴力行為の対象とされたことが知られているが,最も顕著な現象はユダヤ人に対するものであり,ロシア語以外の諸言語でも一般にロシアのユダヤ人に対する集団暴力行為を指す語として用いられる。ポグロムが多発したのは,1881-84年,1903-06年,17-21年であり,いずれも深刻な社会的危機醸成された時期に当たっている。

 第1の波(1881-84)は,1861年の農奴解放後の農民の土地不足と貧困,ユダヤ人とロシア人との両ブルジョア勢力の競争の激化などを背景とし,1881年3月の皇帝暗殺事件の衝撃を直接の契機としてウクライナ一帯で連鎖反応的に起こった。襲撃に加わったのは主として出稼農民や日雇労働者などであった。政府当局はこれを静観したばかりでなく,〈ユダヤ人=搾取者〉説に乗って事件を反ユダヤ政策強化のために十二分に利用した。アメリカとパレスティナへのユダヤ人の移民運動がはじまるのはこの時期である。

 第2の波(1903-06)は,労働運動や農民運動の激化を背景として,ウクライナと西部ロシアを中心に全国的に起こった。その発端となったのは1903年4月にキシニョフ市で起こされた大規模な略奪・殺害事件で,政府高官と地元当局が陰で事件を操作したとみられている。一般に第1の波が多少とも下からの民衆運動という性格をもったのに対し,この時期のポグロムは右翼国粋主義勢力とそれを支援する警察や軍隊までが前面に出て,〈ユダヤ人=搾取者〉説を流布しながら上から組織・挑発した事例が多く,露骨に反革命的な性格をおびた。これに対しユダヤ人側が自衛組織をつくって対抗したところもあった。一般にこの時期に労働者シオニズムなどのユダヤ人左派民族運動が強まった。

 第3の波(1917-21)は,ロシア革命と内戦を背景とし,解体した旧政府軍,ペトリューラS.V.Petlyuraの率いるウクライナ軍,デニキンの率いる白衛軍などによって前線地帯やウクライナで惹起された。崩壊した旧秩序の復活を企てる勢力による無統制の軍事的暴力であり,それゆえ規模は前の2波をはるかに上回り,ポーランド,ルーマニアにまで波及した。ポグロムは中世以来の宗教的偏見を土台とし,激化する階級対立の中でユダヤ人がスケープゴートとされた悲劇である。
シオニズム
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポグロム」の意味・わかりやすい解説

ポグロム
pogrom

組織的な略奪,虐殺,破壊を意味するロシア語。一般に,19世紀後半~20世紀前半にロシアで起こったユダヤ人に対する集団暴力行為をさす。アレクサンドル2世が暗殺された 1881年のウクライナのキシニョフにおけるポグロムが最初のものとして知られる。すでに皇帝アレクサンドル3世治下のロシアでは宗務院長 K.P.ポベドノスツェフによって,また皇帝ニコライ2世時代には内相 V.K.プレーベによって極端な反ユダヤ人政策がとられ,国内の不満をそらせる目的から政府の奨励,黙認のもとに大規模なポグロムがしばしば行われた。さらに日露戦争に敗北してからは反動的な黒百人組などによって「愛国的ポグロム」もなされた。その後この言葉はナチス・ドイツのユダヤ人虐殺にも用いられるようになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポグロム」の意味・わかりやすい解説

ポグロム
ぽぐろむ
погром/pogrom ロシア語

集団的な略奪、虐殺、破壊行為をさす語で、一般にユダヤ人に対する集団暴力事件をいう。民衆の反ユダヤ感情は近代に入ってもヨーロッパの東西を問わず根強いものがあったが、帝政ロシアでは官憲当局自体が反ユダヤ感情の現れを抑止しないばかりか積極的に利用し、使嗾(しそう)すらしたので、その種の事件は激烈、過酷な形をとった。とくに、皇帝アレクサンドル2世暗殺(1881)の衝撃を直接の契機とする1881~84年の事件と、民衆運動の高揚、第一次ロシア革命(1905)を背景とする1903~06年の事件が、大規模なものとして知られている。また、十月革命後の内戦期に反革命勢力が引き起こしたこともある。ポグロムは中世以来の宗教的偏見を土台とし、激化する階級対立のなかでユダヤ人がスケープゴートとされた悲劇であるが、アメリカへのユダヤ移民の顕著な増大、近代シオニズムの成立など、ユダヤ人社会に及ぼした影響も大きい。

[原 暉之]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ポグロム」の解説

ポグロム
pogrom

特にユダヤ人に対する集団的な破壊・暴力・虐殺行為を意味するロシア語
十字軍時代以降,ヨーロッパ各地で多発したが,ロシア正教徒のユダヤ人に対する激しい集団行動をさす場合が多い。社会的危機の醸成を背景に,1881〜84年,1903〜06年,1917〜21年に多発した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ポグロム」の解説

ポグロム
pogrom

ロシア語で「破壊」を意味する。19世紀から20世紀初頭にロシアで行われたユダヤ人に対する略奪や虐殺のこと。1905年に革命運動の弾圧にも利用され,18~21年の内戦の際には白衛軍によって大規模に行われた。

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世界大百科事典(旧版)内のポグロムの言及

【アレクサンドル[3世]】より

…さらにロシア国内の少数民族に対しては,ロシア化政策を強制し,ポーランドやバルト地方ではロシア語による教育を義務づけた。またユダヤ人に対しては,一連の立法で土地の取得や移住,高等教育を受ける権利などを制限するとともに,ポグロムと呼ばれる大量略奪と虐殺を許容した。しかし経済の分野では資本主義の発達を助成する政策をとり,人頭税を廃止したり,最初の労働立法を施行したりした。…

【ユダヤ教】より

… しかし,ヨーロッパの民族主義はユダヤ人の同化を拒否し,ユダヤ人をスケープゴートにして激しいアンチ・セミティズム運動を起こした。19世紀後半,帝政ロシア末期の混乱の中で,ユダヤ人を無差別に殺戮(さつりく)するポグロムが広がったため,多数のユダヤ人がアメリカに逃げた。同時に,ユダヤ民族主義シオニズムが勃興し,それをT.ヘルツルが政治運動に組織した。…

※「ポグロム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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