精選版 日本国語大辞典 「ポー」の意味・読み・例文・類語
ポー
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アメリカの詩人,小説家,批評家,ジャーナリスト。幼くして孤児になり,リッチモンド市の商人ジョン・アランに引き取られ,イギリスで初等教育を受けたのち,1826年バージニア大学に入学するが,1年たらずで退学。27年にボストンに出奔,その地で処女詩集《タマレーン,その他》を出し,陸軍に入り,士官学校にまで進むが,これも31年に中途退学。その直後,長詩《アル・アーラーフ》を含む第2詩集をニューヨークで出版し,ボルティモアに移り住み,そこで短編小説を書き始める。33年,《瓶の中から出た手記》が懸賞に当選し,作家としての,また雑誌編集者としての道が開けた。
その後ポーはリッチモンド,ニューヨーク,フィラデルフィアの各地で雑誌の編集にたずさわり,数多くの評論や書評を書くかたわら,唯一の長編小説《アーサー・ゴードン・ピムの物語》(1838)や短編集《グロテスクとアラベスクの物語》(1840)を出版し,《ライジーア》(1838),《アッシャー家の崩壊》(1839),《大渦にのまれて》(1841)などの幻想味豊かな名作,探偵デュパンが登場する《モルグ街の殺人》(1841),《マリー・ロジェのなぞ》(1842),《盗まれた手紙》(1844)などの一連の推理小説,《ハンス・ファールの無類の冒険》(1835),《メロンタ・タウタ》(1849)などの空想科学小説を70編近く発表した。ポーは人間の心にひそむ内的恐怖や無意識にみごとな形態を与えた怪奇小説や幻想小説の書き手,明敏でときには辛辣な批評家,それに今日隆盛をきわめる推理小説やSFの元祖であった。しかしポーは自分の本領が詩にあると考えていた。だから晩年にはまた詩作に励み,45年には音楽的に美しい《鴉》を公にして名声を博し,つづけて《アナベル・リー》や《鐘》などを発表した。また48年には形而上学的な宇宙論《ユリーカ》を〈散文詩〉と銘打って公表した。ポーには〈幻想的ポー〉と〈論理的ポー〉が同居していた。その〈論理的ポー〉は《詩作の哲学》(1846),《韻律の原理》(1848)などの詩論をも書いた。前者は《鴉》の創作過程を事例に,詩作にあたっての意識的な態度の重要性を強調するもので,やがてその主張の斬新さはボードレールによって〈発見〉され,フランスの象徴派に大きな影響を及ぼすことになった。
ところがアメリカにおけるポー評価は20世紀の半ばごろまではきわめて低かった。その理由の一斑は,ポーがアメリカ的というよりはヨーロッパ的作家であったことに求められよう。だがポーが全世界に読者をもつのは,その〈普遍性〉のゆえであり,日本の場合も例外ではない。ポーの影響は谷崎潤一郎,佐藤春夫,芥川竜之介,中河与一,江戸川乱歩,坂口安吾,大岡昇平(《野火》と《ピムの物語》)などの作家にも認められる。江戸川乱歩のように,そのペンネームまでポーから借用した作家は日本以外にはいまい。
執筆者:八木 敏雄
フランス南西部,ピレネー山麓の都市。ピレネー・ザトランティク県の県都。人口8万0610(1999)。15世紀以来ベアルン地方の主都で,ブルボン朝初代の王アンリ4世誕生の城が残る。近代には州都あるいは県都として行政都市にとどまったが,19世紀中頃からイギリス人貴族が避寒地として訪れるようになり,観光地としての発展が始まった。今日では,ピレネー観光の通過客を迎えるほか,1960年代より,行政・文教都市(大学の新設),商業の中心地として著しい発展をみ,また,近隣ラックの天然ガス田の開発にともない,周辺地域に工業の進出も盛んである。
執筆者:井上 尭裕
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1809~49
アメリカの詩人,小説家,批評家。優れた短編小説と抒情詩を数多く発表したが,貧困に悩まされ不健康な生活を送り早死にした。フランス象徴派詩人に影響を与えた。また推理小説,ホラー小説の元祖ともいわれる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…ガロンヌ川との分水界をなすアルマニャック丘陵はコニャックと並ぶブランデー(アルマニャック)の主産地。支流のオロロン川(ガーブ・ドロロン)との間はベアルン地方と呼ばれ,最大の支流ポー川(ガーブ・ド・ポー)に深く刻まれた丘陵地が広がる。ポー川沿いの中心都市ポーはフォアグラの特産で知られ,周辺では牧畜,トウモロコシ栽培が盛ん。…
…C.B.ブラウンは古城などを舞台にしたヨーロッパのゴシック・ロマンスの伝統を踏襲しながら,古城の代りに西部の荒野やインディアンといったアメリカ固有の背景を導入した。W.アービングは《ニッカボッカーのニューヨーク史》(1809)で,歴史をフィクションに移し,《旅人の物語》(1824)では,深刻さを欠き,短編が多くなる末期型のゴシック・ロマンスを発展させ,ホーソーンやポーを先取りした。アメリカのスコットと呼ばれたJ.F.クーパーは五部作《レザーストッキング物語》(1823‐41)において,高貴な開拓者ナティ・バンポーを文明と荒野の接点に置き,アメリカのフロンティアに大ロマンスを展開させた。…
…19世紀フランスを代表するリアリズムの大作家バルザックにも《セラフィータ》《サラジーヌ》のような幻想的作品があり,モーパッサンにも怪談《オルラ》がある。これらに先立ち,いわゆるプレ・ロマンティスムの揺籃期にイギリスで生まれて,バルザックらにも強い影響を与えたのがいわゆるゴシック・ロマンスの幻想小説群であって,ウォルポールの《オトラント城奇譚》を出発点とし,ラドクリフの《ユードルフォの怪》,M.G.ルイスの《モンク(修道士)》といった衝撃的な怪奇小説,暗黒小説は,近代の合理主義の前夜に非合理的なるものを荒々しく表現しながら,ロマン的想像力の最もラディカルな発現としての毒を内蔵するものでもあった。サドの一連の高度な哲学的作品も一方ではこれら暗黒小説の系譜に連なるものでもある。…
…つまり象徴主義は国際性を帯びた文学現象ということになるが,それはフランスで胎動し始めた当初から,国際的な質を帯びていたせいであるとも考えられる。ボードレールはスウェーデンボリの神秘思想に親しんでいたし,彼の詩についての考え方が形成される上で,ポーの影響が絶大であったことは疑う余地がない。人間の魂の神秘に洞察の眼を向け,想像力の世界に詩的形象の魅惑を繰りひろげながらその神秘を表現したポーの詩,あるいはまた細部まで明晰な知的思考と鋭い批評意識で組織された詩論は,ボードレール以後も,マラルメをはじめ多くの詩人たちにとって,大きな道標となった。…
…K.マンスフィールドは《園遊会》(1922)で印象派風の心理の点描法を試み,ジョイスは《ユリシーズ》(1922)で〈意識の流れ〉や〈内的独白〉の手法を創始した。ポーの諸短編が素描した〈あまのじゃく〉の心理は,ロシアのドストエフスキーによって無意識の深淵にまで追求され,心理分析小説の前提である古典力学的決定論を完全に無効にした。こうした傾向を集約した人間学の新しい理論として登場したのが,フロイトの精神分析学であるが,それと呼応するかのように,プルーストは畢生の大作《失われた時を求めて》(1913‐27)で,〈私〉の独白に始まる自伝的回想が,そのまま写実的な一時代の風俗の壁画でもある空間を創造して,心理小説に終止符を打った。…
…社会実態的には,河川,溜池,クリーク,渓流等の公共の用に供されている流水を継続的・排他的に使用する権利を指すが,河川法の規定では,同法23条により許可された流水占有の権利(許可水利権)のことをいう。河川法上の水利権としては,許可水利権のほかに慣行水利権がある。慣行水利権は,江戸時代に成立した水利慣行に根拠を置いている。日本の水田農業の水利慣行の多くは,江戸時代に入って大河川下流部の平野に大規模な灌漑施設が造成されていく過程で,限られた水資源を同一水系内で利用する方法(水利秩序)として,まずつくられた。…
… 散文が科学を志向するように,近代詩は音楽をモデルとし,あたうかぎり純粋な芸術たろうとする。〈詩であって,それ以上のなにものでもないところの詩〉を求めたポーが,その始祖といえる。それは〈因果関係は,まったく表現されず,かえって諸要素の連続によって打ち消される〉(フロイト)というような,無秩序で自足的な閉じられた世界をつくり出す。…
※「ポー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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