マシューソン(読み)ましゅーそん(英語表記)Christopher Mathewson

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マシューソン」の意味・わかりやすい解説

マシューソン
ましゅーそん
Christopher Mathewson
(1880―1925)

アメリカのプロ野球選手(右投右打)、監督大リーグ(メジャー・リーグ)のニューヨークジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)、シンシナティ・レッズ投手としてプレー。20勝以上を13回も記録し、歴代3位タイの通算373勝をマークした名投手である。1916年からはレッズで監督も務めた。

 8月12日、ペンシルベニア州ファクトリービルで生まれる。1900年、ジャイアンツに入団。1901年には21歳で早くも20勝をあげた。1903年から3年連続で奪三振王を獲得し、最後の年は最多勝利、最優秀防御率とあわせ、投手三冠王となった。1907年に最多勝と奪三振王の二冠王、08年はふたたび投手三冠王。1909年は最優秀防御率、10年は最多勝、11年と13年にも最優秀防御率を獲得した。この活躍で、チームは1905年にワールド・シリーズを制し、11年からは3年連続リーグ優勝を果たした。1915年に8勝14敗と負け越し、16年も3勝4敗と振るわず、シーズン途中でレッズにトレードされた。移籍先では監督兼任となったが、投手としては1勝しかできず、同年限りで現役引退。1918年まで監督を務め、以降は古巣ジャイアンツのコーチや、ボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)の球団社長などを歴任した。

 選手としての17年間の通算成績は、登板試合636、投球回4780と3分の2、373勝188敗、防御率2.13、奪三振2502、完投434、完封79。獲得したおもなタイトルは、最多勝利4回、最優秀防御率5回、最多奪三振5回。監督としての通算成績(3年)は、164勝176敗。1936年に野球殿堂入り。

[山下 健]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マシューソン」の意味・わかりやすい解説

マシューソン
Mathewson, Christy

[生]1880.8.12. ペンシルバニア,ファクトリービル
[没]1925.10.7. ニューヨーク,サラナックレーク
アメリカ合衆国のプロ野球選手。本名 Christopher Mathewson。投手。右投げ右打ち。「マティ」「ビッグ・シックス」の愛称で知られる。1900~16年ナショナルリーグのニューヨーク・ジャイアンツ,1916年シンシナティ・レッズでプレー。1916~18年にはレッズの監督として采配を振り,1923年から 1925年に没するまでの間ボストン・ブレーブズの球団社長を務めた。ジャイアンツ在籍時は,1903~14年の 12シーズン連続を含む 13シーズンで 20勝以上の成績を残し,うち 3または 4シーズンで 30勝をこえている(1903年の成績については 29勝,30勝の両説がある)。1908年は 35勝(または 37勝)を上げ,うち 11試合(または 12試合)は完封勝利。通算成績は 367勝(または 372,373勝)186敗(または 188敗)。ワールドシリーズには 4回出場し,5勝を記録。フィラデルフィア・アスレティックスと対戦した 1905年のシリーズでは 3試合を完封し,1913年にもアスレティックスを相手に 1試合で完封勝利を収めた。「フェードアウェー」と呼ばれる大きく落ちる変化球(現在のスクリューボール)を得意とし,抜群の制球が持ち味。寡黙で誇り高く,並はずれた集中力をもつ知的な人物だった。1936年最初の野球殿堂入りを果たした 5選手の一人

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