マッターホルン山(読み)まったーほるんさん(英語表記)Matterhorn

翻訳|Matterhorn

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マッターホルン山」の意味・わかりやすい解説

マッターホルン山
まったーほるんさん
Matterhorn

ヨーロッパ・アルプス中部、スイス・イタリア国境のワリス・アルプスの高峰。典型的なピラミッド型で、アルプスの象徴的な名峰。標高4478メートル。フランスではモン・セルバンMont Cervin、イタリアではモンテ・チェルビーノMonte Cervinoとよばれる。スイス側山麓(さんろく)のツェルマットは観光、スキー、登山の基地として知られ、ここから登山電車が通じるゴルナーグラートや、ロープウェーで行くシュワルツゼーからの眺めがよい。鋭い山容のため、古くは悪魔の住む山として恐れられた。アルプス登山の黄金時代末期の1865年7月、イギリスのE・ウィンパーら7名で初登頂されたが、帰途ザイルが切れて4名が墜死した事件は登山史上有名である。北壁はアイガー、グランド・ジョラスとともにアルプスでもっとも登攀(とうはん)困難なルートといわれ、1931年ドイツのシュミット兄弟に、冬季は1962年スイスのH・V・アルメンらにより登攀された。

[徳久球雄]

『小西政継著『マッターホルン北壁』(中公文庫)』


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改訂新版 世界大百科事典 「マッターホルン山」の意味・わかりやすい解説

マッターホルン[山]
Matterhorn

ヨーロッパ・アルプスのワリス山群にあり,スイスとイタリアの国境上にそびえる山。標高4477m。ピラミッド形の美しい山容はアルプスの象徴的な存在となっている。フランスおよびフランス語圏スイスではモン・セルバンMont Cervin,イタリアではモンテ・チェルビノMonte Cervinoとよばれている。1865年7月14日,イギリス人E.ウィンパー一行によってスイス側の北東稜(ヘルンリ山稜)から初登頂されたが,下山中7名のうち4名が墜落死するという遭難事件が発生した。最も難関である北壁は,1931年ドイツのシュミット兄弟によって初登はんされ,冬期初登はんは62年2月,H.V.アルメン,P.エッターのスイス隊によって樹立された。スイス側ヘルンリ山稜からの一般ルートはツェルマットを登山基地として,毎夏,多くの登山者によって登られている。
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世界の観光地名がわかる事典 「マッターホルン山」の解説

マッターホルンさん【マッターホルン山】

スイスのヴァレー州の観光リゾート、ツェルマット(Zermatt)南西10kmにあるアルプスの名峰(標高4477m)。スイスとイタリアの国境に位置する。◇イタリア名は「モンテ‐チェルビー」、フランス名は「モン‐セルヴァン」、または「ル‐セルヴァン」(Le Cervin)。スイス側からの同山登山の起点がツェルマットである。アルプスの高峰は18世紀に次々と登頂に成功され、征服されていったが、最後に残ったのが、このマッターホルンだった。初登頂に成功したのは1865年、エドワード・ウィンパーらイギリス隊だった。最も難しい登攀(とはん)ルートとされる北壁は、アイガー、グランドジョラスとともに「三大北壁」に数えられ、世界中のアルピニストの憧れの山となっている。

出典 講談社世界の観光地名がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のマッターホルン山の言及

【登山】より

…ことにイギリス人の活躍でアルプスの黄金時代を迎え,登山技術も急激に進歩した。1865年にはE.ウィンパーが登高不可能とみられていたマッターホルン(4477m)の登頂に成功した。また1857年には世界最初の登山団体であるイギリス山岳会(アルパイン・クラブ)がロンドンに創立された。…

※「マッターホルン山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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