マディソン(英語表記)James Madison

デジタル大辞泉 「マディソン」の意味・読み・例文・類語

マディソン(James Madison)

[1751~1836]米国政治家。第4代大統領。在任1809~1817。大統領在任時に英国に宣戦布告し、米英戦争に踏み切った。ジョンジェーアレクサンダーハミルトンとともに、アメリカ合衆国憲法の解説書「ザ‐フェデラリスト」を執筆したことでも知られる。→モンロー

マディソン(madison)

自転車競技の種目の一。ポイントレースと同様のルールで、1チーム二人選手が交代しながら行うもの。二人とも走行を続けるが、競走に参加しているのは常に各チームのどちらか一人のみ。
[補説]選手の交代時には、必ず相手の手または体に触れなければならない。

マディソン(Madison)

米国ウィスコンシン州南部の都市。同州の州都。モノア湖とメンドータ湖の間に位置する。周辺は豊かな農業地帯が広がり、食品加工業、農業機械工業が盛ん。ウィスコンシン大学、マディソン大学などが所在する文教都市。ルネサンス様式風の花崗岩かこうがん造りの州議事堂が有名。

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改訂新版 世界大百科事典 「マディソン」の意味・わかりやすい解説

マディソン
James Madison
生没年:1751-1836

アメリカ合衆国第4代大統領。在職1809-17。〈連邦憲法の父〉とも呼ばれる。バージニア西部のプランターの長男として生まれ,ニュージャージー大学(現在のプリンストン大学)卒業。1776年に25歳の若さで州憲法制定会議の代議員に選ばれ,州行政参議会員を経て大陸会議の代議員となる。80年から約4年間大陸会議の代議員を務めたが,職業政治家として政治に専念できる人間が少ない当時にあって大陸会議の活動に専心し議事に精通することによって,大陸会議の指導的な代議員に成長した。次いでバージニア州代議院議員を務め,86年にはバージニア信教自由法の制定に貢献した。翌87年5月にフィラデルフィアで招集されたいわゆる連邦憲法制定会議では,連合規約の全面的な改正を目ざすバージニア・プラン提案のイニシアティブをとり,連邦憲法案の起草を導いた。連邦憲法案の批准過程ではA.ハミルトンやJ.ジェーとともに《フェデラリスト》を著して連邦憲法案を擁護し,88年6月にバージニア州の批准を達成させた。連邦憲法制定後は連邦下院議員となり連邦憲法の権利章典第1修正から第10修正の採択を導いたが,ワシントン政権の外交政策およびハミルトン財務長官の財政政策には強硬に反対する立場をとり,野党リパブリカンズを組織した。さらにアダムズ政権の〈外人法・治安法〉に反対するケンタッキー・バージニア決議を採択させ,1800年のトマス・ジェファソンの大統領当選に貢献した。その後国務長官,大統領を歴任したが,大統領在職中の英米戦争で大統領公邸(現在のホワイト・ハウス)の焼打ちにあう。晩年バージニア大学の創設に寄与した。マディソンが《フェデラリスト》第10編で著した,党派利害の多様性は自由および公共善の実現にとって好ましい条件であるという見解は,多元主義政治学派に受け継がれ,アメリカ政治学の始祖と仰がれている。
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マディソン
Madison

アメリカ合衆国ウィスコンシン州南部にある同州の州都。人口22万1551(2005)でミルウォーキーに次ぎ同州2位。モノナ湖とメンドータ湖との間に位置し,周囲には氷河湖が多い。農業・酪農地帯の中心地で,食肉加工,酪製品,農業機械,肥料などの軽工業が立地する。政府関係の就業人口が多く,白い花コウ岩を用いたイタリア・ルネサンス様式の州会議事堂の建物が市の中心に位置する。同州の高等教育の中心地で,1849年創立のウィスコンシン大学は,メンドータ湖岸に美しいキャンパスをもち,同市の発展に大きな役割を果たしてきた。1836年ウィスコンシン準州の創設により州都となり,合衆国第4代大統領ジェームズ・マディソンにちなんで命名された。
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百科事典マイペディア 「マディソン」の意味・わかりやすい解説

マディソン

米国の政治家。第4代大統領(1809年―1817年)。合衆国憲法の起草・制定に活躍,A.ハミルトン,J.ジェーとともにフェデラリスツの一人,理論家として知られ,〈憲法の父〉と呼ばれた。後ハミルトンと対立し,野党リパブリカンズを組織,国務長官(1801年―1809年)を経て大統領となったが,英国との1812年戦争の指導に失敗した。晩年はバージニア大学の創設に寄与。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マディソン」の解説

マディソン
James Madison

1751~1836

アメリカ建国期の政治家。ヴァージニア出身。合衆国憲法の制定に尽力し,ハミルトンらとともに憲法承認を訴える優れた論文集を著した。ジェファソン大統領のもとで国務長官を務め,彼についで大統領(在任1809~17)となり,アメリカ‐イギリス戦争の難局を切り抜けた。政治家であるとともに政治理論家であった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「マディソン」の解説

マディソン
James Madison

1751〜1836
アメリカの第4代大統領(在任1809〜17)
アメリカ独立戦争では大陸会議のヴァージニア代表。合衆国憲法の作成と批准にも功があり,憲法の父と呼ばれる。ジェファソン大統領の下に国務長官をつとめ,ついでみずから大統領となり,在任中に米英戦争を戦った。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マディソン」の意味・わかりやすい解説

マディソン

マジソン」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のマディソンの言及

【フェデラリスト】より

…1787年起草のアメリカ連邦憲法案がいよいよ各州憲法会議の批准を得るにあたって,強い抵抗が予想された。ことにニューヨークにおいては反対論が激しかったので,賛成派のA.ハミルトン(後の初代財務長官)はJ.ジェー(後の初代最高裁判所首席裁判官),ニューヨーク滞在中のバージニアのJ.マディソン(〈憲法の父〉と呼ばれ,後の第4代大統領)とともに,ニューヨークの新聞紙上に匿名で憲法賛成論を展開,各地の新聞にも転載された。憲法案批准という具体的な政治的課題と取り組みながら,権力と自由,中央政府と地方政府といった基本問題をとりあげたこの所論は,立憲政治の真髄を説いたものというべく,アメリカ政治学史上の古典の地位を占めている。…

【民主主義】より

…その展開の様相は,アメリカとヨーロッパではかなり異なっていた。
【アメリカ民主主義の展開】

[マディソンの共和主義]
 近代において,民主主義が強く意識されはじめたのはアメリカ独立革命およびフランス革命である。そのいずれにおいても,イデオロギーのレベルに先行して事実のレベルでの民衆エネルギーの解放があったが,その意味を敏感に感じとって,対抗の理論武装を急いだのはまず支配層であった。…

※「マディソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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