ミトリダテス1世(英語表記)Mithridates Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「ミトリダテス1世」の意味・わかりやすい解説

ミトリダテス[1世]
Mithridates Ⅰ
生没年:?-前139か138

アルサケス朝パルティアの王。在位,前171-前139か138年。ミトラダテス1世Mithradates Ⅰともいう。治世前半はバクトリア王国に奪われていた東方失地回復に努め,前155年ころに目的を達成した。そのあと西方に向かい,セレウコス朝シリアから自立していたメディアを征服し,前141年にはセレウキアを占領してバビロニアを併合した。反撃してきたセレウコス朝と対戦し,前139年に敵王デメトリオス2世を捕らえ,さらにイラン南西部のエリュマイス(スーサ地方)を征服した。パルティアの帝国支配を確立し,〈大王〉と称した。彼はまた,征服した地域のギリシア系都市住民の協力を得るために〈フィレレノス〉(〈ギリシア人を愛するもの〉の意)と名のった。このことは必ずしもヘレニズム化政策への転換を示すものではなく,年代表記にアルサケス紀元を使用するなど,民族主義的伝統も保持されていた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のミトリダテス1世の言及

【パルティア】より

… 前2世紀に入ると,セレウコス朝はローマやプトレマイオス朝エジプトとの争いに忙殺され,バクトリアでは国内が分裂し,パルティアの発展が可能になった。ミトリダテス1世(在位,前171‐前139か138)はメディアに進軍し,前141年にはセレウキアを占領してバビロニアを征服した。彼は初めて〈大王〉を称し,その後約400年つづく帝国支配を確立した。…

【ポントス】より

…ハリュス川(現,キジル・イルマク川)などの河口近辺の肥沃な土地では穀物,ブドウ,オリーブなどがつくられ,付近の山々からは木材や鉄,銅,銀などが産出された。前4世紀末にミトリダテス1世によってポントス王国が建設され,前1世紀前半にはミトリダテス6世のもとで王国は最大の繁栄を迎える。しかし,第3次ミトリダテス戦争でポンペイウスの率いるローマ軍に敗れ,前63年に6世が自殺すると,王国は東西に二分されてローマの支配下に置かれた。…

※「ミトリダテス1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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