ムスタファーカーミル(英語表記)Muṣṭafā Kāmil

改訂新版 世界大百科事典 「ムスタファーカーミル」の意味・わかりやすい解説

ムスタファー・カーミル
Muṣṭafā Kāmil
生没年:1874-1908

エジプトの民族主義者。1891年カイロの法律学校を卒業してパリへ遊学。帰国後アラービー革命(アラービー運動挫折で低迷する民族運動の再建に尽力した。1900年日刊紙《リワーLiwā'(旗)》を発刊し,占領を革命で打破せよとの論陣を張り,大衆の民族感情を鼓舞した。1906年デンシワーイ事件が占領下の恥辱をさらけだすや,国際的にイギリスによる占領糾弾のキャンペーンを展開,イスラム諸国やエジプトをめぐり,イギリスに対立するフランスやオスマン帝国との関係緊密化を図った。国内では07年に,都市知識人,商人,学生を基盤にワタンWaṭan党を結成し,占領体制を正面から攻撃した。占領撤廃を要求する一方,エジプト国民に教育の重要性を訴えた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android