メニューイン(読み)めにゅーいん(英語表記)Yehudi Menuhin

精選版 日本国語大辞典 「メニューイン」の意味・読み・例文・類語

メニューイン

(Yehudi Menuhin ユーディ━) アメリカバイオリニスト幼時からエネスコブッシュらにバイオリンを学び、七歳でサンフランシスコデビュー。若くして世界有数の名手となり、壮麗な技巧をうたわれた。(一九一六‐九九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「メニューイン」の意味・読み・例文・類語

メニューイン(Yehudi Menuhin)

[1916~1999]米国のバイオリン奏者。少年ころから名人芸的演奏で活躍、のち、精神的に深みのある演奏へ転じた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メニューイン」の意味・わかりやすい解説

メニューイン
めにゅーいん
Yehudi Menuhin
(1916―1999)

アメリカのバイオリン奏者、指揮者。ニューヨーク生まれ。ルイス・パーシンガーに師事、1924年サンフランシスコ交響楽団と協演して注目され、以来「神童」として喧伝(けんでん)された。27年パリ・デビューののち、同地でルーマニアの名バイオリン奏者エネスコに師事。29年から本格的な演奏活動を開始した。第二次世界大戦後、一時技術的な不調に陥ったが、バース音楽祭、ウィンザー音楽祭、メニューイン音楽祭などを主宰、また指揮にも手を染めるなど幅広く活躍、精神的な深さと強さを加えたことが独奏活動復帰につながった。59年からアメリカを離れ、ロンドン本拠に活動。85年に英国籍を取得。1951年(昭和26)に初来日して以来、数回にわたって日本を訪れた。

岩井宏之]

『岸本完司訳『メニューイン ヴァイオリンを愛する友へ』(1987・音楽之友社)』『服部成三郎・服部豊子訳『メニューイン ヴァイオリン奏法』(1976・音楽之友社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「メニューイン」の意味・わかりやすい解説

メニューイン

米国のバイオリン奏者,指揮者。ユダヤ系ロシア人を両親にニューヨークで生まれる。イザイエの高弟L.パーシンガー〔1887-1966〕に師事し,1924年8歳でデビュー。1927年にはパリにデビューし,同年カーネギー・ホールに出演。神童の名をほしいままにした。ベルリンとロンドンでも成功をおさめヨーロッパでの名声を高める一方,エネスコとA.ブッシュのもとで研鑽(けんさん)を積む。第2次世界大戦後は,ナチス協力のかどで楽壇追放の苦境に立つW.フルトウェングラーをユダヤ系音楽家たちの反対を押し切って擁護。その復帰に力を貸し,深い親交を結んだ。また,バルトークとの交友は傑作《無伴奏バイオリン・ソナタ》(1944年)に結実した。その後はロンドンに居を定め,ヨーロッパ各地で音楽祭を主催。1970年代以降,一時期の低迷を脱して円熟味のある名演を繰り広げ,再び名声を高めた。1951年初来日。→カサド

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「メニューイン」の意味・わかりやすい解説

メニューイン
Yehudi Menuhin
生没年:1916-99

アメリカのバイオリン奏者,指揮者。少年時代E.イザイエの高弟L.パーシンガーに師事,神童の名をほしいままにし,1924年サンフランシスコ,26年ニューヨーク,27年パリでデビュー。その後G.エネスコ,A.ブッシュについて研さんを積み,若くして世界の一流バイオリン奏者のなかに加えられるに至った。第2次世界大戦後は技術的に不安定な面をみせることが少なからずあったが,70年代に入ると円熟した表現力を武器に,精神主義的な独自の芸風を確立,再び名声を手中にした。58年メニューイン室内管弦楽団をイギリスで結成,指揮活動も行うようになり,翌59年ロンドンに定住。58年以来,バース音楽祭,ウィンザー音楽祭などの芸術監督を務め,また62年音楽英才教育のための学校を創立するなど,多方面に及ぶ活躍をみせている。1951年初来日。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メニューイン」の意味・わかりやすい解説

メニューイン
Menuhin,Sir Yehudi

[生]1916.4.22. ニューヨーク
[没]1999.3.12. ベルリン
アメリカ生れのバイオリニスト。7歳でサンフランシスコ楽壇にデビュー以来,独奏者として活躍し,神童とうたわれた。その後ヨーロッパへ留学し,ドイツで A.ブッシュ,フランスで G.エネスコに学び,第2次世界大戦後 1959年からイギリスに定住。みずからバス音楽祭やウィンザー音楽祭などの芸術監督をつとめたり,音楽学校を創設するなど,後進の指導にも力を注いだ。またインドのシタール奏者 R.シャンカールやジャズのバイオリン奏者 S.グラッペリとの共演など多方面な活躍で注目された。晩年はおもに指揮者として活躍。 51年以降数回来日している。 65年にナイトの称号を認められたが,85年イギリスに帰化するまで受けなかった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「メニューイン」の解説

メニューイン

ドイツの筆記具ブランド、モンブランの万年筆の商品名。「ドネーションペン」シリーズ。アメリカ出身のバイオリン奏者、ユーディ・メニューインをイメージ。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android