モスクワ運河(読み)モスクワうんが(英語表記)Kanal imeni Moskvy

改訂新版 世界大百科事典 「モスクワ運河」の意味・わかりやすい解説

モスクワ運河 (モスクワうんが)
Kanal imeni Moskvy

ロシア連邦西部,モスクワ川ボルガ川を結ぶ運河。1947年までは〈モスクワ・ボルガ運河〉と呼ばれた。モスクワの北港から北行し,クリン・ドミトロフ丘陵を縦断,さらに北に進んでドゥブナ市付近でボルガ川に至る。延長128km。途中,数ヵ所に貯水池が構築されている。北半のドゥブナ~クリン・ドミトロフ丘陵間はボルガ川の水を揚水し,モスクワ側へ自然流下させる。1932年から37年まで工事が行われた。運搬されるものは木材,建設資材,石材石油食糧,工業製品などである。モスクワは,この運河により,ボルガ水域およびカスピ海の諸港と結ばれ,その後1952年に完成したボルガ・ドン運河によってさらに黒海方面とも結ばれるに至り,内陸水上交通の中心となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モスクワ運河」の意味・わかりやすい解説

モスクワ運河
もすくわうんが
Канал им. Москвы/Kanal im. Moskvï

ロシア連邦、モスクワ付近にある内陸運河。モスクワ市内でモスクワ川(ボルガ川の支流)より分岐して北上し、イワンコボ付近でボルガ川本流と結ばれる。長さ約128キロメートル。閘門(こうもん)は8か所あり、それぞれ長さ290メートル、幅30メートル、深さ5.5メートルという大規模なもので、河川用の艀(はしけ)はもとより、小型航洋船も通航できる。1932年に起工され、1937年に完成した。この運河の完成によって、首都モスクワは、モスクワ川、オカ川、ボルガ川、ボルガ・ドン運河、ドン川などを通じてカスピ海やアゾフ海、黒海と、また、この運河とボルガ・バルト海運河などを通じてバルト海や白海とも水路を通ずることとなり、内陸水路要衝となった。モスクワ・ボルガ運河と称することもある。

青木栄一・青木 亮]

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世界大百科事典(旧版)内のモスクワ運河の言及

【運河】より

…ソ連の建国後は1930年代がめざましい運河築造期で,まずドニエプル川下流の急流部が運河化されて汽船航行がはじめられた。次いで33年オネガ湖と白海の間に〈スターリン記念白海・バルト海運河〉が開かれ,さらに37年にモスクワ運河が完成してモスクワは大型はしけによってボルガ川と結ばれた。またルイビンスクには広大な人造湖がつくられ,非能率的なマリインスカヤ水路は近代的なボルガ・バルト海水路に改装された。…

※「モスクワ運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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