モスタル(読み)もすたる(英語表記)Mostar

デジタル大辞泉 「モスタル」の意味・読み・例文・類語

モスタル(Mostar)

ボスニア‐ヘルツェゴビナ南部の都市。15世紀オスマン帝国期に建設され、ヘルツェゴビナ地方の中心地として栄えた。続いてオーストリアハンガリー帝国ユーゴスラビア王国領となった。市内にある、ネトレバ川に架かる橋スタリモスト世界遺産

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モスタル」の意味・わかりやすい解説

モスタル
もすたる
Mostar

ボスニア・ヘルツェゴビナ南部の都市。ネレトバ川両岸に広がるヘルツェゴビナ地方の中心都市である。都市人口9万0800(2003推計)。1991年時点ではムスリム人、クロアチア人がそれぞれ3割強を占め、セルビア人も居住していた。ローマ時代はアンデトリウムAndetriumとよばれ、7世紀以降、南スラブ諸族が定住した。15世紀にオスマン帝国領となり、都市名の由来となるトルコ式アーチの石橋「古い橋(スタリ・モスト)」が1566年に建てられ、両岸が結ばれた。ヘルツェゴビナ地方の行政中心地として発展し、オーストリア・ハンガリー帝国統治期に鉄道が開通してからは観光地としても注目され、とりわけ、ネレトバ川左岸のモスクやトルコ風の商店街は石橋とともに知られた。しかし1992年から1995年までのボスニア内戦の過程でクロアチア人勢力はここを拠点にし、1993年に町の象徴でもあった石橋は破壊された。ユーゴ紛争を調停したデイトン合意以降、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成するボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側に帰属した。

[木村 真]

 2004年、破壊された石橋の復興工事が完了。2005年「モスタル旧市街の古橋地区」として、ユネスコ国連教育科学文化機関)の世界遺産の文化遺産世界文化遺産)に登録された。

[編集部 2018年5月21日]

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改訂新版 世界大百科事典 「モスタル」の意味・わかりやすい解説

モスタル
Mostar

ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国南部,ヘルツェゴビナ地方の中心都市。人口12万7034(1991)。カルスト地形のモスタル平原部のネレトバNeretva川両岸に発達した東洋風の印象を与える美しい町である。7世紀ごろから南スラブ人が定住した。町は15世紀の文献にオスマン・トルコの地方長官の居住地として言及されているが,1566年ころネレトバ川に石橋が架せられて以降発展した。両端に検問用の塔をもつ美しい石橋は町のシンボルとなり,町名もこの〈古い橋(スターリ・モスト)〉にちなむ。第1次大戦後ユーゴスラビア領となった。初め商業で栄え,19世紀末に鉄道が開通してからは観光地として脚光を浴びるようになった。伝統的なタバコ,ブドウ酒製造業のほかに,繊維・金属工業も発達している。ネレトバ川左岸のトルコ風の商店街,カラジョズ・ベグ・モスク(16世紀),ボゴミル教徒の墓石が並ぶ博物館,近くのヤブラニツァ水力発電所(年間75億kWh),詩人アレクサ・シャンティチ(1868-1924)の記念碑など見るべきものが多い。町のシンボルの橋は内戦中の1993年に砲撃で崩壊したが,2004年に復興した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モスタル」の意味・わかりやすい解説

モスタル
Mostar

ボスニア・ヘルツェゴビナ南部のヘルツェゴビナ地方の行政中心地。ネレトバ川下流に臨む。モスタルはセルボクロアチア語で「古い橋」の意味。オスマン帝国占領当時の 1566年に木の吊橋が石のアーチ橋にかけ替えられた。 1878~1918年のオーストリア=ハンガリー帝国支配時代にはセルビア人による愛国運動の中心地となった。主産物はたばこ,ワイン,果実,野菜,繊維製品。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では激しい戦闘が繰り広げられ,町の象徴だった石橋も破壊された。 2004年石橋が修復・再建され,2005年橋とその周辺地区が世界遺産の文化遺産に登録された。人口6万 4000 (2003推計) 。

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