モブツ(英語表記)Mobutu Sese Seko

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モブツ」の意味・わかりやすい解説

モブツ
Mobutu Sese Seko

[生]1930.10.14. ベルギー領コンゴ,リサラ
[没]1997.9.7. モロッコ,ラバト
ザイールの政治家。Mobutu Sese Seko Koko Ngbendu Wa Za Bangaとも呼ばれる。旧名 Joseph (-Désiré) Mobutu。コキアビルで中等教育を終えたのち,1949~56年ベルギーコンゴ公安軍に勤務。ベルギーのブリュッセルに留学後,新聞記者を経てパトリス・E.ルムンバの指導するコンゴ国民運動 MNCに参加。1960年6月30日独立とともにルムンバ内閣国防大臣,1960年7月参謀総長大佐。1960年9月14日ジョゼフ・カサブブ大統領の支持のもとにクーデターを起こし,ルムンバを追放政権を掌握した。1961年2月軍最高司令官少将。1965年11月再びクーデターでカサブブを追放し,大統領に就任するとともに中将昇進。1966年10月首相兼任。1971年10月国名をコンゴ民主共和国からザイール共和国改称,11月大統領に再選された。1967年5月以来,革命人民運動 MPRの一党支配体制をしき,1970年代前半には「真正」(オータンティシテ)イデオロギーを軸に,徹底したザイール化政策を推進したが,1973年の石油危機,主要産品である銅の国際価格の下落などもあって挫折し,修正を余儀なくされた。1984年大統領に 3選されたが,7年の任期が終了したにもかかわらず大統領の地位にとどまり,独裁体制をしいた。しかし冷戦終結以後の民主化の時代に入ってモブツの権力基盤は急激に弱まり,1996年内戦が勃発,1997年モロッコへ亡命した。(→コンゴ動乱

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改訂新版 世界大百科事典 「モブツ」の意味・わかりやすい解説

モブツ
Mobutu Sese Seko
生没年:1930-97

アフリカ,ザイール(旧,コンゴ)の軍人,政治家。ベルギーの植民地時代にコンゴ公安軍に入隊したが,その後ジャーナリストを経て政界に入り,コンゴ国民運動(MNC)の一員として,1960年初めの独立円卓会議に参加した。60年6月の独立とともに軍参謀総長に就任し,コンゴ動乱初期の同年9月にはクーデタによって政権を握り,委員制内閣を組織したが,61年初め進んで民政に移管した。65年11月再びクーデタを起こして政権を奪取し,カサブブに代わって大統領に就任した。当初は暫定政権を称していたが,しだいに長期政権への姿勢を強め,71年からは〈真正性〉を追求する〈ザイール化〉政策を推進するなど,一連の改革に着手した。この政策はその後挫折したが,モブツ体制は革命人民運動(MPR)の一党制などに支えられて命脈を保った。84年の大統領選挙では単独の候補者として臨み三選された。91年12月の任期切れ後も大統領職に居座ったが,96年10月に始まった東部ザイール紛争の拡大で97年5月に首都を反政府勢力に包囲され,国外に逃亡。30年におよぶ権力の座から追われ,亡命先のモロッコで病死した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モブツ」の意味・わかりやすい解説

モブツ
もぶつ
Mobutu Sese-S'eko Kuku Ngbendu Wa Za Banga
(1930―1997)

コンゴ民主共和国(旧ザイール)の軍人、政治家。10月14日赤道州リサラに生まれる。中等教育を終えたのちコンゴ公安軍に入隊。1956年除隊し、ベルギー留学を経て新聞記者となったが、1960年のコンゴ共和国の独立とともに初代国防相、参謀総長に就任。1961年以降軍最高司令官として勢力を強め、1965年クーデターにより政権を奪取、大統領に就任。1971年には国名をザイール共和国に変更するとともに政治、経済、社会、文化などあらゆる分野にわたる大胆なザイール化政策を採用し注目を浴びたが、経済面で挫折(ざせつ)し、政治的にも独裁色を強めて不満をよんだ。1984年の大統領選挙で3選を果たしたが、1991年12月の任期満了後も政権の座を降りず、自ら公約した民主化の進行を妨げた。1997年にコンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL)の武力攻撃によって辞任を余儀なくされ、同年9月亡命先のモロッコで病死した。

[小田英郎]

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百科事典マイペディア 「モブツ」の意味・わかりやすい解説

モブツ

ザイール(コンゴ民主共和国)の軍人,政治家。1960年6月の独立とともに軍参謀総長に就任。独立直後に始まったコンゴ動乱初期の同年9月,クーデタで実権を掌握したが,1961年文民に政権を移譲した。1965年クーデタで再び政権を握り,国名をコンゴからザイールに改めるなどの〈ザイール化政策〉を推進。しかし,政権の腐敗,民族間対立という難問を解決できず,1997年5月コンゴ・ザイール解放民主勢力連合によって首都キンシャサが制圧された。モブツは海外に逃亡し,死亡。
→関連項目コンゴ民主共和国

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旺文社世界史事典 三訂版 「モブツ」の解説

モブツ
Joseph-Désiré Mobutu

1930〜97
コンゴ(旧ザイール)の軍人・政治家
1955年の除隊後,政治活動にはいり,コンゴ民族運動(MNC)の活動的メンバーとなる。1960年,コンゴ民主共和国独立後,9月大統領と結んでクーデタを起こし,ルムンバ派を追放。翌年国家元首の地位を大統領に返還したが,1965年のクーデタで政権を奪還,大統領に就任(在任1965〜97)。1971年国名をザイールと改称。親米的独裁を続けていたが,1997年,反政府ゲリラの侵攻で失脚,モロッコに亡命して死去。

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世界大百科事典(旧版)内のモブツの言及

【コンゴ民主共和国】より

…盆地の最低部は赤道上の東経18゜付近,コンゴ川にウバンギ川が合流するあたりを中心とし,平均標高は400mである。東の国境はアフリカ大地溝帯の底部や肩部に並ぶアルバート湖(この国ではモブツ湖と改名),ルウェンゾリ山地(最高5109m),エドワード湖,ビルンガ山地(カリシンビ4507mやニーラゴンゴ3470mなどの火山をもつ),キブ湖,タンガニーカ湖などを連ねる。その西肩は2000~3000mの傾動山塊で,ミトゥンバ山地と呼ばれる。…

※「モブツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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